インテルやカルチョに関する話題多め
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久々にモウリーニョについて筆を取りました。


モウリーニョの停滞


Qoly.jpさんに、コラムとして掲載していただいてます。
よろしければご賞味あれ……

ただし、純正モウリーニョ全肯定派の方は、タイトルからあれこれお察しください。

ではでは。

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【2012/05/07 21:55】 | モウリーニョなこと
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モウ・マドリー~1stシーズン総括~(3)「真の矛先」より続く。

Ⅱ:現在モウ・マドリーが歩んでいる道は、最適解と言えるのか・・・?

以上の通り、メディアを巻き込んだ一大ムーブメントが、確かに過激に過ぎる一方・・・
そこにはある程度の必要性があったことは想像に難くない。

むしろ、こちらの方がより深刻な問題だ。

これまで申し上げてきた通り、スペインリーグには"スペイン"という国が欲する方向性、文化性がある。
それに反した振る舞いは、当然ピッチ内外で相応の報いを受けることとなる。

3年前、イタリアにやってきたモウリーニョは、インテルでなんとか攻撃的な4-3-3、あるいは4-2-4を機能させようと腐心した。
が、それは結局叶わなかった。
クアレスマとマンシーニらの大不振という問題もあったが、それ以上イタリア・フットボールそのものが、そうしたスタイルで結果を出すことを、モウリーニョとインテルに許さなかったからだ。

翻って、今回はどうか?

・・・結果は出た。
そう。
最低限の結果は、この方法でも残しているのである。

5-0で圧敗した初戦を除き、それ以外は少なくとも可能性を見いだせる試合を、指揮官就任後半年足らずしか経っていない未成熟なチームが、少なく見積もって10年以上の月日をかけて練り上げられたチームに対して見せつけたと解釈できる展開ではあった。


それだけに、先が読めない


およそ3年間、ジョゼ・モウリーニョという男のことを追い続けてきて、これほど筆者自身の考えと彼の指揮が乖離を見せたのは初めてのことだ。
自分は開幕前に彼が言った、

攻撃的なチームを作るつもりでいる
レアル・マドリードはCロナウドをベースとしたチームになるべきだ

という発現の意図は、

高い守備力をベースに、CR7の爆発的な突破力・推進力を生かした、ダイレクト志向の高いチームを作る

ものだと解釈していた。

予想は半ば当たり、半ば外れている。

実際にCR7の攻撃力を先鋭化させたチーム構築は行われてはいた。
その結果が、これまでのリーガ最高記録を打ち破る、前人未到の40ゴールによるピチーチ(得点王)獲得だったのだから。



が・・・
一方で更に、攻撃の比重の二の手、三の手を模索しなければ、勝ち切れずに勝ち点を落とす試合が増えてしまう。

実際、今季の引き分け数は、昨季ペジェグリーニ政権下のそれに比べて実によく目についた。

それだけ守備が安定し、負け試合を引き分けに持ち込んでいるとも言えるのだが・・・
一方でそれも3試合、4試合と重なれば、ならば2勝2敗の方が、結果として取得勝ち点が増えることになるのもまた然りである。

さあどうする?
いつ舵を切る?どのタイミングでバランスを是正する?

その時期を今か今かと待ち続けたまま、シーズンが終わってしまった印象なのである。

インテルの初年度、ある時クアレスマをベンチからも外して4-3-1-2(ロンボ型4-4-2)にドラスティックな変換を施した時のインパクトは、自分にとって鮮烈なものだった。
その分だけ、今季のエル・ブランコにおける彼のマネジメントには、どこか歯に物が挟まったような印象を抱いてしまったのかもしれない。




少し頭を柔軟にし、その理由をを考えてみたところ・・・
大きく、2通りの可能性が浮かび上がった。

ひとつは前述した通り、1年目のプライオリティに“今後のための、チームの土台作り”を置いていた場合だ。

レアル・マドリードの選手たちは、それまで各クラブで敏腕を轟かせた、トップエリート中のトップエリート、スペシャリストの集まりである。
他のクラブで戦力外になった、契約を満了して流れ着いたような選手は一人もいない。

それだけに、思わぬ弱点として

自分が中心としてチームが動くことに慣れ過ぎている

という点が挙げられる。
少なくとも、筆者はそれがあると思っている。

チームプレイに徹する精神が備わっていたとしても、それと実践するための術、向き不向きはまったく別の問題だ。

例えば現在の陣容であれば、カカーがそうであり、Cロナウドがそうであり、ベンゼマがそうだ。
サブメンバーで言えば、ペドロ・レオンやセルヒオ・カナレスらにもそうした傾向がある。

良い悪い、という問題ではない。

彼らの多くは『本人が最もプレーしやすい環境をチーム内に整えられていた』影響でもって、これまでのキャリアを作り上げてきた者ばかり、という事実こそが重要なのだ。

ともすると攻撃が個人技頼みになる、チームがうまくいかなくなると一人ひとりが別々にゴールに向かうようになる――
すべてのクラブに言える現象だが、近年のレアル・マドリードに殊更そうした傾向が強いことは、こうした問題と無関係ではない。

故に、モウリーニョの"仕事"に時間がかかったのではないか・・・?
その可能性は、なかなかに高い。


何故インテルではうまくいったのか?

理由は大きくふたつある。
ひとつは、インテルには法律がなくとも、ロベルト・マンチーニによってある程度築かれた「戦術=イブラヒモビッチ」のシステムが既に存在していたこと。

そして皮肉にも、カルチョが現代フットボールの主流ではないこと。
そしてインテルが、そうした"速さや強さより、巧さや賢さ"を必要とするリーグの王であったからだ。

チームとして機能することを半ば余儀なくされるイタリアでは、トップクラブであるインテルの選手たちですら、厳正なルール下でプレーすることを免れない。

しかしそれだけに、指揮官の細かな指示や具体的な戦術指南を受け入れられる下地があった。
先日の比較文化論:イタリア編でも解説させていただいた通り、フットボールIQの高さが最大限に発揮された形である。




翻ってスペイン、しかもレアル・マドリードに集められるような選手であれば、フットボールIQよりもテクニック、スピード、パワーといった直接的な要素、取り分け

攻撃的な素養

に秀でた選手が揃うことは当然の成り行きである。
その分だけ、土台作りにも時間がかかってしまったのではないか・・・?
という訳だ。


加えて言うなら、土台作りに苦戦している間にチームがリーグ戦で早々とバルセロナに勝ち点で水を開けられ、リーグ戦のプライオリティが下がったという点は見逃せまい。

戦いは継続するにしても、リーグ戦が注力すべきコンペティションではなくなれば、貴重な試合時間を土台固め、来季への布石にするのは極めて自然な考え方だ。
そしてタイトルの可能性がより高い状態で残った、国王杯、チャンピオンズリーグに心血を注いだ・・・
なるほど、非常に納まりのいい話ではある。

ただしこの場合、2シーズン目となる来季は、“攻撃を強化する”ことが前提として存在しなければならない。

リーガの特性と現在のチームのギャップは解決されずに、今シーズンは終りを告げた。
バルセロナが異常とも言えるペースで勝ち点を積み重ねていく以上、直接対決で相手の勝ち点を譲らないのは勿論のこと、残る19チームからどれだけ勝ち点3を強奪できるか?

そこにリーガ・エスパニョーラ制覇のポイントはある。

より少人数で、より省労力で、より効率的にトランジションの速度を上げる。
これが土台である。

同時に、相手が自陣に引き篭もってリトリートしてきた場合のこじ開け方、強引な得点のアプローチが必要不可欠となる。
これが2年目に求められる+α・・・と言うことだ。





次いで考えられるのは、アンチ・バルセロナとしての性質を特化させることだろう。

リーグ制覇は直接にバルセロナを叩かなければ叶わないとモウリーニョが踏んだとすれば、リーグ全体とのギャップに目を瞑ってでも、この方針を打ち出す可能性は充分にある。

昨季、マヌエル・ペジェグリーニの元、レアル・マドリードが打ち立てた勝ち点96は、クラブの最高記録を更新するものだった。
一方、今季モウリーニョの元で獲得した勝ち点は92。
単純な比較はできないが、実際に4ポイントの損失があったわけだ。

しかし見方を変えれば、前半戦の連携が不十分な中、行われた試合を・・・
そして中~後半戦、何人もの怪我人が重なった影響などもあって失われた勝ち点のいくつかを取り戻せば、来季こそ本当の優勝争いに手が届く。

それよりも、バルセロナを殺しうる武器が、“猛毒”がこのチームには必要だ――

このように、指揮官が考えていたとしたら・・・?


その先にあるのは、今季を上回る凄惨な戦いだ。
インテルにおける2シーズン目、カルチョすべてを敵に回したあの時以上のものになると見てよい。




これまでも再三述べてきたように、そのアプローチはスペインそのものを敵に回しかねない危険性を秘めている。

スペインという文化圏の価値観そのものに喧嘩を売り、彼らが求めるのと異なる形で結果を手にしようと試みだからだ。

クラブ内部、マドリディスタ・アナリスタの一部だけでなく、結果が出なくなったその時はマドリディスタ・ノルマルも一斉に騒ぎ出すだろう。
現在モウが行っているのは、元々客観的に見れば、スペイン人が自然と魅力的に感じるようなフットボールではないのである。

クレは勿論、スペイン中と、マドリディスタと、UEFAとも現在の関係を継続することの意味――
・・・あまりにも困難な道だ。

それでも、モウ自身がそれを『是』とした場合、闘争は断行されることになる。

勿論、よりスペインのジャッジング基準にあった形に、プレッシングやボディコンタクトの細部を手直しするなど、"修正案"を施す可能性は残されている。
ただし、基本的にスペインそのものフォーマットに合わない形であること・・・
この点は、肝に銘じておかなければならない。

新グランデ・インテルは、指揮官の言動そのものは攻撃される一方、そのクオリティと結果に対しては万人が一定の評価を与えていた。
少なくとも、与えざるを得なかった。

が・・・今回は訳が違う。
あの時とは異なり、勝利の先に結果とマドリディスタの歓喜以外は何もなかった――

そんなシナリオすら、覚悟して臨んでおく必要がある。



何にせよ、予想の成否、その一端が伺えるのは、2~3ヶ月ばかり先・・・
シーズンが開幕してからということになる。


※~おわりに~

仮にモウリーニョが2シーズン目を、筆者の思い描いている理想通りにマネジメントを進めたとする。
守備と全員が連動する土台の上に「第2、第3の引き出し」、つまり守勢に回った相手から無理やりにでも得点を強奪する動きを加えようとしている場合だ。

それでも、懸念は残る。

そもそもスペインに、レアル・マドリードにやってくるような選手たちが、多分な自己犠牲と得点の可能性を一部放棄してまで、失点のリスクをケアしようというモウリーニョのやり方に、どこまで共感してくれるのか・・・?
という問題だ。

代表論でも述べた通り、文化ごとの最適解は必ずある。
クラブチームの場合、各国から異なるベースを持つ選手が集まって集団を形成しているとは言え、

そのリーグを選んでやってきている

以上、スペインにはリーガ・エスパニョーラの一般的傾向に合わせた選手が、自然と集まってくるものだ。

選手の価値観に合わないフットボールは、必ず心身のバランス、コンディションに問題を発生させる。
選手がモウリーニョに心酔し、そのために大きな犠牲を払おうと努めてくれたとしても、だ。

それが数えるほどならいい。
だが、チームの大半がそうした無理を、フットボールをする上で充分な楽しみを得られずにプレーすることになっているとしたら・・・?

ファンの反乱よりもメディアを巻き込んだ騒動よりも、バルセロナのクオリティよりも、自分にはそれが恐ろしい。

故に今回の連載では、殊更に『ギャップ』の問題について言及したのだ。


自分は、ジョゼ・モウリーニョを信じている。


彼のすべてを肯定することはできない。
だが、彼の可能性に関して言えば、すべてが頓挫するまで応援すること、精査すること・・・

見守り、支え続けることを、決して放棄しない。

願わくば、現在移籍市場でレアル・マドリードに続々と加わっている新たな選手たちが、モウリーニョのやり方、今現在チーム内で行われているフットボールを理解した上で、その理想・最終型の実現に向けて力を貸してくれることを――

彼の周りにいる人達、それこそマドリディスタ・アナリスタや古参派のフロント勢を含めて、皆が彼を理解しようと努めてくれることを望んでいる。

理解してくれ、とは頼まない。
理解しようとしてくれるだけで、それだけで充分なのだ。



チェルシーで、インテルで築くことができたフィーリングを、レアル・マドリードでももう一度・・・

未だモウ本人の口から言及されていない、

クラブとの一体感、フィーリングの形成

が、2シーズン目こそ成されること。


これをただひたすらに、切に望んでいる。
<了>



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【2011/06/06 23:31】 | モウリーニョなこと
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「~終わりに~懸念」について
ヘロドトしす
blog読ませて頂きました。すごく勉強になります。特に最後の「懸念」については、色々考えさせられました。

私の感覚では大丈夫なんじゃないかな、とかなり楽観視してます(笑)。
主力メンバーの多くは切迫感を持っていると感じています。

やはり昨シーズン(2009-10)のレアルの失敗は印象深かったです。特にクリロナさんは史上最高額で移籍した事もあり、相当失望したのでは、と思っています。主将を務めたW杯でも散々でしたからね。当時のニュースにも深く傷心している様が報道されていました(http://www.plus-blog.sportsnavi.com/liga/article/193)。

若い選手はそれほど無いと思いますが、他の主力選手(例えば樫やアロンソ等)も、内外から相当なプレッシャーを与えられているハズです。また自身のプライドも相当傷ついているのではないでしょうか。

モウリーニョ主導で獲得した選手を見ると、その多くが献身的な選手です。それはチームとして勝利を最優先する為なのではと思います。

現在エゴが見え隠れするのは、主力の中ではベンゼマくらいかな、という風に見てますね。
イグアイン、カカは来シーズンが勝負だと考えていると思います。

僭越ながらコメントさせて頂きました。来シーズンが楽しみですね!!でわでわ。


Re: 「~終わりに~懸念」について
白面
おわ!
わざわざ丁寧かつ素敵なコメント、ありがとうございますm( _ _)m

選手とモウの信頼関係に関しては、おっしゃるとおり主力の中で不安なのはベンゼマぐらいなものでw
ただ、選手の資質的に本当にやれるのかな?向いてるのかな?というのは少し引っかかってます。

でも、おっしゃるとおり・・・
勝てなかった時期が続いたことで、いい形でモチベーションに昇華し、うまく適応してみせてくれてこそワールドクラスたちと思って期待することにします(*^^)v

そして、来季こそは是非にCL圏内にビルバオを!w


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(4)2つの大きな懸念事項

Ⅰ:何故これほどナーバスは振る舞いを続けてきたのか?

前回ご紹介した通り、モウリーニョは必ずしもマドリディスタのすべてから万全の支援を得られているわけではない。

エル・ブランコ最大の特徴のひとつが、多くのソシオから成る民主主義的なクラブであることであることはすでに書いた。
勿論それは、今日我々が抱いている「民主主義」のイメージからは、幾分以上に乖離した内情ではある。

それでも、サポーターの声がダイレクトにクラブ運営に反映されやすい、ソシオの満足が最優先にされる=効率やセオリーより、感情がダイレクトに反映されてしまうという性質ははっきりとしている。


それが、恐い。

モウリーニョがこの仕事を継続できるかどうか――
モウリニスタである自分にとって、最大の不安はここにある。


この男のマネジメントは、目の前の勝利を可能な限り追求する一方で「1年後、2年後」を見越した手を打ちながら進めるのが常である。
運もよくチェルシー、インテルは1シーズン目から結果を残すことに成功しているが、本格的にチームとして確たる形となったのは2年目以降のことだ。

モウリニスタである筆者は、そのことを骨の髄まで知り尽くしている。
故に収穫や損失の洗い出しなどは行う一方、基本的には彼の仕事を信頼しきっているのだ。

だが、多かれ少なかれ既に『マドリディスモ』という法律を持っていた彼らはどうか。

現状を確認しておくと、日本に入ってくる情報及びいくつかの現地情報(筆者の拙い翻訳力では、多分に限界があるが)から判断するに、レアル・マドリードの
現在いま
を掌る多くのファン、取り分け若年層の多くは指揮官を支持する傾向が高いように見受けられる。

一方、これが中高年になってくるとまちまちだ。
どういったスタンスで応援を続けているか、ヘビーユーザーかライト層かの違いも鮮明になってくる。

更に老年層になると、かなり反発の色が強くなってくる。

古き良き日々、エル・ブランコが最も輝いていた栄光の歴史を知る彼らにとって、昨今のクラブの低迷と停滞、迷走や暴走は目に余る部分も少なくないのだろう。




それでも全体として見れば、大多数のファンはモウリーニョの味方でいる。

何故か?
彼が勝利という結果と、目に見えてわかる対抗策を打ち出してチーム運営に臨んでいるからだ。

これまで夢見がちだった一部のマドリディスタに対しても、非情なほどに現実を叩きつけたからだ。


ターニングポイントは、昨年11月のエル・クラシコ第一戦だ。

ラインを高く設定し、オープンスタンスで点の奪い合いに出たマドリーは、バルセロナの高速パスワークに蹂躙されて為す術無く惨敗。
一時は指揮官更迭の噂すら持ち上がったほど、それは屈辱的な敗戦だった。

だが、あの時多くのサポーターは悟ったはずだ。

もはや正攻法では、ポゼッションを目的とした点の奪い合いで、バルセロナに勝利できるクラブなどこの世に存在しないのだ

と。



エル・ブランコのサポーターはここ数年の低迷、取り分け2年間のノン・タイトルという戒めを持って、嫌というほど自分たちの過失とライバルクラブの強さ、クオリティを味わわされ続けてきた。

取っ換え引っ換えチームの方向性を選択し直す、その場の成り行き任せな方法では、どれほど多くのクラックを獲得したところで勝利には到達し得ない。
取り分けライバルがこれだけ見事なフットボールを展開している以上、同じアプローチを取ろうとしても、そのクオリティにはとても追いつけそうにない。

何か別の方法が必要だ。

選手の質では決して劣ってはいない。
ならば、必要なのは別のアプローチではないのか・・・?

そんなことを考えた人間は、少なからずいたはずである。

そして・・・
マドリディスタがそう考えるよう差し向けたのは、他ならぬ指揮官自身だったのではないか、とも思うのだ。

あの敗戦は逆説的に、

栄光あるマドリディスモに則した戦いを挑めば、ライバルはここぞとばかりにこのチームの穴を突き崩しにくるのだ

と、モウリーニョが世間に現実を知らしめた一戦だったのではないか――?
そんなことを思うのだ。



恣意的な見方であることを承知で、自分はこの半年間あまり、ずっとそういうイメージを抱きながら彼のマネジメントを見てきた。

しかし、まったく根拠のない話ではないとも思っている。
彼だけではない。
過去何人かの指揮官が、実際に同じようなことをやっているからだ。

例えばイビチャ・オシムは、ワールドカップ90年イタリア大会において、国内世論の言う通りにストイコビッチ、サビチェビッチ、プロシネツキを同時起用し、4-1でドイツに敗れた後に

おわかりいただけただろうか?
あなた方の言う通り、彼らを同時にピッチに送り出せば、何がどうなるかを


と啖呵を切った後、思う存分自分の采配を始めて見せた。
その後、次戦以降にチームは瞬く間に息を吹き返し、PK戦でアルゼンチンに敗れるまで、同大会において強烈なインパクトを残したものだった。



モウリーニョで言えば、そのキャリアをスタートさせたベンフィカ・リスボン時代(同クラブはポルトガルの名門で、国内屈指の熱狂的なサポーターを多数持つ)、クラブのアイドルであったアブデルサタル・サブリーに対する一連のアクションがそれだ。
モウリーニョは徹底して、彼を評価しなかった。その守備の意識の低さ、チームプレーからかけ離れた振る舞いが気に入らなかったからだ。

当然、選手とメディアは猛反発することになるが、実際にある試合で彼をプレーメーカーとして起用した所、16分間の間に5回ものカウンターアタックを仕掛けられてしまう。
それを受け、

いかに彼(サブリー)がボールを奪われる回数が多いかわかっただろうか?
そのくせ、彼は自分が奪われたボールを相手から奪い返そうともしない。

10番というのは攻撃と守備を繋ぐ重要なポジションだ、戦術をよく理解していないと務まらないのだ!


と一刀両断にしてみせたものである。


真相はわからない。
あながち間違いでもないかもしれないし、まったくの見当はずれかもしれない。

だが、結果的にあの一戦以後、厳しい時期を経て国王杯獲得に到った結果、モウリーニョの守備的アプローチ、トランジション(攻守の切り替え)重視の戦い方を批判する者が、激的に減ったことは事実である。

その事実さえあればいい。

今後も結果を出し続ける限りにおいて、ほとんどのファンはモウリーニョを支持することだろう。
宿敵バルセロナを破った暁には、取り分けリーグ戦で3年ぶりにマドリー側に勝利をもたらしでもすれば、その評価は決定的なものとなる。

この環境こそ、指揮官自身が望んだものであるとすれば・・・?

勝利の重要性が、これ以上ないほどピックアップされる。
1勝の価値と1敗の衝撃が、何倍にも何十倍にもクローズアップされる土壌をリーガ・エスパニョーラにおいて形成すること。

“ただ勝利する”だけでは、またぞろ

こんな戦いはマドリディスモに反する~

とクレームを付けてくるであろう、アナリスタたちを黙らせてクラブ内をまとめきるには、実に効果的な一手と成り得る。
あるいはそうした余計な声を掻き消すノルマルからの大声援が、これで約束されたことになる。



今後もモウリーニョは、その言動の基本方針を変えることはないと思われる。

が、チームの動向にもよるが、今季ほどナーバスに振舞うことはなくなるのではないか・・・と予想している。

1シーズン目の今季、チームに規律と守備の土台を植え付けると共に、リーガ・エスパニョーラを熾烈な消耗戦にするための種まきをした。

そこで支払わされた代償を、彼は必ず2年目、結果という名の果実でもって、必ず取り返そうとするだろう。
そのために必要な緊張感をチームに与えるための施策は、今後もメディアを通じて成されるはずである。

クラブ内における立ち位置は、この1年で確固たるものとしたと言えるだろう。
対立を続けていたホルヘ・バルダーノの退任を受け、後任にはモウリーニョとの関係が良好かつクラブの偉大なるOBである、ジヌディーヌ・ジダンが就任する。

ようやく周囲から、“自分の仕事”を妨害されずに済む――
そうした環境を整えたということだ。


結論から言えば、モウリーニョのナーバスな振る舞いは、決して外部を直接攻撃すること・自身の感情を発散することを主目的として行われていたのではない。

クラブのフロント、取り分け会長のフロンティーノ・ペレスと、クラブを取り巻く多種多様なマドリディスタたちに、

私を支える気があるか?
私の仕事を見届ける覚悟はあるか?


という意思を、直接・間接的に伝える意図"も"あってのこと――と考える。
ざっくばらんにまとめてしまうなら、

自分の仕事をしやすい環境を整えた

、ということだ。

思えば彼の言葉は、これまでずっと外に向いている時も、実際には内側からそれを聞いている選手たちであり、ファンであり・・・
聴衆に向けて発せられるものだった。


モウリーニョは極めて理知的な人物である。

例え自身のポリシーに反したことはしていない、と考えていたとしても、一方で世間が自分の言動をどう受け取ったのかを、客観的に捉えて分析しているだろう。

しかし実際のところ、

それをチームにどう生かすか、自分の仕事にどう生かすか?

それこそ唯一無二、彼にとって絶対的な行動基準だ。

もし当記事をマドリディスタ・アナリスタの方が目にする機会があったとすれば――
その点だけは、覚悟しておかれた方がよい。

続く



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後数回の連載をもって、当blogを一時休止とさせていただく予定でおります。

クラブと同じように、自分もシーズンを終えるには条件が揃ったかな・・・という感じで(;´ー`)

最後まで走り切れますよう、何卒ポイント支援によるご助力をお願いします。

【2011/06/06 22:45】 | モウリーニョなこと
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※(1)より続く

(3)「由々しき問題」編

最初の大きな問題は、対バルセロナ戦の戦歴が芳しくない点だ。

確認になるが、今季頻発したクラシコ5試合の通算成績は、マドリーの1勝2分2敗。
そのうち貴重な1勝はタイトルがかかった直接の試合であり、そこで勝利できた意義は大きい。

それでも負け越してはいるものの、そもそもの土台が違い過ぎる両クラブを、同じ土俵の上で戦わせることそのものに無理がある。
最低限の責務は果たし、善戦したと見るのが筋ではないか――――

――などと考えられるのは、現地で応援していない一部のファンだけだろう。


モウリーニョが、レアル・マドリードがこのシーズンで負け越した5戦、

それはエル・クラシコだ。


そこには如何なる理由、言い訳も存在することを許されない。
第3者、あるいは筆者のような2.5者には主観・客観入り混じった評論を下すことができても、当事者にとっては地獄の責め苦のような結果だ。

以前も言ったように、エル・ブランコがモウリーニョに白羽の矢を立てたそもそもの理由のひとつが

対バルセロナ用決戦兵器:アンチ・マテリアル・バルサ

なのであるから、これはいかにも物足りない結果である。



例えこの短い期間で、彼に取れる唯一無二の手段を全力で遂行しようと務めていたのだとしても、ファンの感情はそんなことで押さえ込めるものではない。

これを読んでくださっている皆様が、果たしてどのクラブの、どういったサポーターさんなのか(あるいはフットボールファンではないかもしれないが)は知れないが・・・
あなたの周りにもいるだろう。
時に理不尽な、時に極めて手前勝手な解釈の元、まともに現状の精査もせずに、クラブや指揮官、選手に当り散らすような人間が。

自分なりに理屈は立てようとも、

では何をどうすればうまくいくのか?その責任を取れる、と断言できるほどの妙案があるのか?

と問われれば、多く言葉に詰まってしまう――
あるいは意気揚々と自説を展開するも、それがまったく非常識な理の元で作られた眉唾であるような輩が。


フットボールファンとは、多かれ少なかれそうした性質を持っているものだ。


逆に言えばどのような形でクラブを愛し、接しようとも、人の世の道理に反した方法でなければ構わない以上、それもまたひとつの現実として受け止めなければならない。

それがすべての指揮官、すべてのフットボーラーに共通する責任であり、
此度ジョゼ・モウリーニョが指揮を執ることになったクラブは、それが世界で最も苛烈なレベルにあるクラブなのだ。


・・・非常に身も蓋も無い言い方をしてしまえば、モウはうまくこの問題に対処した。
ただし、本人以外の人物がとても手放しに褒めてはくれない、「誇り高き」振る舞いから一線を画すやり方で。

例えば欧州CL決勝トーナメント、ベスト4ラウンドでの「Hell・クラシコ」である。

彼は審判を叩き、判定の問題点を強調することで、チームの抱える問題点を”隠した”。
すり替える、とは少々性質が異なる。”隠す”が適当だろう。

無論、発言の何割かは本心であったろうし・・・
実際にバルセロナ側も、自身の潔癖を主張したところでそれが万人に認められるほど、過去すべての試合で完璧な勝利を収めてきたわけではない。
過去何度も、何度も判定に助けられてきたことは事実だ。それは以前書いた通りである。




が、それはあくまでバルセロナの問題だ。

モウリーニョが、レアル・マドリードというチームが抱える問題自体は、些かも解消されていない。


一連の過激な発言や問題提起には、そうしたチームのウィークポイント、マネジメントの限界が槍玉に挙がることを逸らそうとする意思がまったくなかったとも言わせない。

選手を守るため?
サポーターの悲しみを和らげるため?
感情を爆発させ、自身を鼓舞、あるいは慰撫するため?

おそらくこれらすべての何割かは事実であり、同時にどれも完璧な解答ではないのだろう。

他方、様々な要素の絡み合う中、モウリーニョが情報戦による闘争を選択したことは事実である。
いいか悪いかという問題ではない。
唯一、彼が

周囲からどれだけ叩かれようと、これだけネガティブに振舞わねばならないほど状況は切迫していた

というひとつの事実こそが事の本質なのだ。


このテーマ、実はその他の損失とも非常に関係の深い、ある問題を抱えている。
詳しくは、日を改めて展開することにする。



次いで対リーガ効率、リーグ戦で得られた勝ち点の限界・・・
というより、リーグ戦で失った勝ち点の多さに言及したい。

この問題については、シーズン開始前に筆者は自分なりの結論を得ている。
詳しくは
こちらをご参照いただきたい

ようは、モウ・マドリーの戦い方は、スペイン・リーグの適性における最適解ではないのだ。
もっと言ってしまえば、スペインの文化に合っていないのだ。

先に書き置いた「比較文化論:スペイン編」でも触れた通り、同国のフットボールにおける理想系は

極限まで攻撃性を高めた点の奪い合い

である。
イタリアを制するのに守備力を必要とするように、ここスペインでは攻撃力の特化が至上命題ということだ。

1度でも多くの決定機を。
1本でも多くのシュートを。
1点でも多くの得点を。

それがスペインフットボールの、根本的な性質だ。
数多のスペイン人が求める、フットボールにおける根源的な喜びとなる。

それはスポーツ論ではなく、文化論ではないか?
とお叱りを受けてしまうかもしれない。

否。
文化論と侮ることなかれ。両者は切っても切り離せない関係で結ばれている。

何故か?
究極的に言えばリーガ・エスパニョーラという舞台は、

子供たちに幼少の頃から”ゴールの奪い方”、ゴールの重要性を徹底して教え込み、

その意思・フィロソフィーに反する【守備的な振る舞い】をある意味では唾棄、時には『駆逐』すらし、

そうして育てられたフットボールに関わるすべての者達が、その基準に基づいて同リーグを作っていく


ことになるからだ。

例えば審判は、守備を容易にする振る舞いに厳しくなる。
それは激しいフィジカルコンタクトであったり、守勢に回ったチームに対する判定の辛さであったりと様々だ。

この点でモウ・マドリーは、明らかに最適解とは程遠い道を歩んでいる。



解かり難ければ、日本人の道徳や美徳に置き換えて考えてみればいい。

混雑した電車の中でご老人に席を譲らぬ者と譲る者。
我から己の功績を主張する者と、淡々と日々の仕事に励む者。
自身の主張をなんとか純度の高いまま、あの手この手で通さんと画策する者と、他者の主張を聞き入れて穏便な解決策を模索しようとする者・・・

価値観の多様化や世代の違いなどあっても、多く日本という土壌で好ましい受け取られ方をされるのは、すべて後者のような振る舞いである。

日本社会そのものが、こうした人物像に人を育てるべく

機能している以上、異なる価値観や道徳観の元で活動する者は、当然アウトサイダーとしての評価、異物としての扱いを受ける傾向が高くなる。



モウ・マドリーが抱えている問題は、つまり、これと同じ構造であるということだ。

下位クラブからの取りこぼし、勝ちきれない試合が増えるのは、この国のフットボールが
「2点を失っても、3点を取れば問題ない」
メカニズムで動いているからであり・・・

度々判定に泣かされるのは、

スペインの審判が守備的な振る舞いに狭量であり、また自ら主導権を握りたがる、プライドまたはエゴの強いパーソナリティを有する者が多い

ことが一因として挙げられる。

メディアの扱いもまた、こうした文化の下に判断が下されることになる。
レアル・マドリードは幸いにして(あるいはジョゼ個人にとっては、不幸だったかもしれないが)、国内最大のスポーツメディアであるMARCAに絶大な影響力を持っている。
アスやムンド・デポルティボのようなバルセロナ寄りメディアからの攻撃はともかく、国内発行部数の半数近くを誇る同新聞が好意的に活動を取り上げてくれることは、ある意味ではモウにとって救いになったろう。

が、ある意味ではマイナスかもしれない
あるいは、ジョゼ・モウリーニョという人物の、自己主張が強烈過ぎる振る舞いと守備的な組織整備が、スペインという土壌では十全に機能しないことに、本人が気付くきっかけを失わせている元凶かもしれないからだ。

その可能性を完全には否定できまい?

モウリーニョとて人間だ。
環境には大きく影響される。
孤高ではなく独善になってしまう危険性は、常に存在している。

無論・・・これは最悪のケースであり、筆者も現在にそうであるとは考えていない。
本当のところは、

スペイン国内だけでなく欧州の舞台、そして何よりも現在のバルセロナと戦う上で、守備力の向上が必要不可欠

という意思による、土台固めの意味合いが1年目は強かったためと考える方が自然である。
その方が、他の様々な事象について考えるに当たっても筋が通りやすい。

とは言え、それにしてもインテルで過ごした2年間に比べ、どうにもチーム整備や、得点力向上の取り掛かりに遅れた感は否めない。

選手もファンも何もかもが異なり、成績上の上ではそもそも挑戦者として絶対王者・バルサに挑んだ今季と、既にリーグの勝者であったインテルの場合とを、同列に語ることはできないかもしれないが・・・
インテルにおける1年目の期待外れ感に比べ、エル・ブランコのそれはより「実の少ない、または小さい」シーズンであったような印象を、今現在のところは抱いている。



最後にピッチ外でのトラブル、『モウリーニョ劇場』の大炎上については、もはや語るまでもないだろう。


やり過ぎだ。


その発言の裏に様々な意図が隠されているとしても、本意ではないことをあえて口にすることがある人物だとしても・・・
自分のようなモウリニスタの目から見てさえ、

これはまずい

と感じたのだから、それはやはり大きな問題と言うことができる。

彼の振る舞いがこうしたネガティブ(相対的にチームにとってメリットが上回る状態をポジティブな作用、とすれば)な方向に偏り過ぎたのには、いくつかの理由が考えられる。
昨年末に刊行した『孤独のミステル』内でも触れた内容が含まれるが、一度整理しておく方が解りいいかと思うので、まとめて見ていくことにする。


ひとつはイタリアという戦場で2年間、苛烈な戦いを続けてきたことの後遺症だ。

朱に交われば紅くなる――とはよく言ったもので、あれほど毛嫌いしていたイタリア文化にどっぷり浸かり、意図せぬところでそれが悪影響を及ぼしている。
現在のモウからは、そうした側面を垣間見ることができる。

正確には、イタリアの文化、慣習に反発しようとし、自身のパーソナリティを維持・及びチームを守るために変質したというのが正しいのだが・・・
どちらにしても、イタリアに来る以前と去った後では、明らかにその立ち振る舞いに変化が見られる。

非常に神経質で、ことさらに攻撃的だ。

挑発的、ではない。
攻撃的なのだ。時に暴力的とすら感じられる




ここからは、しばし完全な主観になるが・・・

例えばイタリアにおけるインテルは、ビッグクラブではあるがベストクラブではない。
同時に先の連載でもお話しした通り、イタリアの中小クラブは非常に手ごわく、また誇り高いため、ある意味では
「ケンカとして成立しやすい」
図式があった。
有力ガキ大将の一角と、小柄ではあるが気の強いワンパクとが対立するような構図である。

一方、スペインにおけるレアル・マドリードは、言うまでもなくオンリー・ワンだ。
バルセロナが現状、これだけの隆盛を誇っていてもまだ、

バルサとマドリー、入るならどちらを希望する?

と問われて、後者を選ぶ選手の方が多い現実――
これを考えねばならない。
エル・ブランコがスペイン、そして欧州のフットボール史に刻んできた歴史の足跡は、栄光はそれほど絶対的なものなのである。

だが、モウはイタリア時代、インテルにいた頃と同じように喧々轟々なやり取りを繰り返す。
絶対的な強者が、まともに戦力差を比べてみれば試合前から相手が白旗を揚げてしまいかねない、そんな戦いにおいてまで

「このカスが!くたばれ!!」

と罵っているも同義の振る舞いである。
多くの人が大人気ない、みっともない、好ましくない・・・と、眉を顰めるのも道理と言うべきだろう。




インテル時代はよかった。
インテルが多分にイタリア的でなく、また“ベストでないことが幸いした”からだ。

人々の脳裏に刻まれているのはミランとユヴェントスによる勝利の記憶であり、インテルはあくまで一時、カルチョポリの影響でのし上がってきた『1.5流』に過ぎない。
他のクラブからある意味では排斥・差別される対象でもあったため、皮肉にもクラブ内においては、現場とサポーターが一丸となりやすい環境も、【戦争的】な振る舞いを見せるモウリーニョにとって非常にポジティブに働いた印象がある。

翻って、エル・ブランコの場合はそうではない。

絶対的な王者として、雄大に、そして誇り高く。
あくまでイメージの話なのだが・・・

相手が用意してきた策と、同じ方法で上回って勝つこと、つまり圧倒しての勝利

が同クラブには義務付けられている、そんな感覚を覚えるのだ。
より正確に言えば、

正攻法、取り分け攻撃的な振る舞いを持って相手を粉砕すること

と定義づけられるか。

結果至上主義のイタリア、インテルにおいては許された「搦め手」による勝利が、ここスペインでは、レアル・マドリードにおいては唾棄される。
最高の選手を揃えた最高のクラブなのだから、最高の勝ち方、誰の目にも明らかな圧倒的な勝利を望む傾向が強くなるのは必然――
それ故のギャップなのだと自分は考えているのだが、皆様は如何お考えだろうか・・・?


インテル時代、あるいはチェルシー、ポルト時代との決定的な違いは、このように彼の振る舞いがポジティブな作用よりも、トータルでネガティブな現象を生み出してしまっていること。
ここに、ひとつ大きな問題があると思う。

サポーターが背中を押してくれさえすれば、フロントが支えてくれさえすれば、チームは無限の力を発揮するものである。

その意味ではチェルシーもインテルも、ポルトも理想的な環境だったろう。
クラブを取り巻く様々な要因も、クラブそのものの性質も、よい形で機能してくれることが多かった。
ここら辺、モウリーニョ本人が

私は主流よりも、ロビン・フッドのように巨大な敵に立ち向かうことを好む

と語っていることを考えると、非常に納まりがいい。
自分たち以外のすべてを敵に回して突き進むことを是とする男なだけに、自分自身が圧倒的強者に置かれることは、そもそも人間としての方向性が合わないのかもしれない。



守備を重視した戦術だけでなく、こうしたピッチ外での振舞いがサポーター、取り分けアナリスタに与えた影響は小さくないだろう。

彼らにとってのエル・ブランコとは、すべてを圧倒する・・・それこそバルセロナなど足元にも及ばないような偉大なクラブの姿のまま、心中に存在しているのだ。
モウの振る舞いなど官民・警察機構がマフィアの如き暴虐を働くのに等しい振る舞いに映ったのではないだろうか。


思えば、チェルシーには土台らしい土台が何もなかった。
モウリーニョがやってきて、作り上げたものこそが土台だった。

インテルも同様だ。
長らく勝利から遠ざかり、王者となっても満たしきれない部分を3年間という長い時間の中で見つけ出した矢先、モウリーニョがやってきてその空白部分を満たしたことの意味は小さくない。

だが、エル・ブランコには最初からその土台があった。
チームに土台はなくとも、人々の心の中には「こうあるべき」という、理想の姿がはっきりとあった。

故に古いファンほど、“自ら土台を、文化を作り上げようとするモウリーニョの振る舞いは実に気に食わない”。
指揮官を支持するのは多くは若いファンであり、勝利に飢えていたエネルギーの有り余った者達である。
目の前の勝利を渇望しなくとも、過去の美しき日々に浸るだけで一定の満足を得られるような人々ではない。


幸いにして、現会長や多くのファンはモウリーニョを支持する立場にある。
が・・・クラブの歴史を作り上げてきたオールドファンは手ごわい。
これまでに声を挙げてきた者達は氷山の一角であり、

「口にこそ出さないけど実は・・・」

と感じている者が、後どれだけいるのかもわからない。
そもそも、

こうしてクラブ内部にごちゃごちゃとした問題を抱えること自体が極めてネガティブ

であることは言うまでもない。
その分だけ、ピッチ内に回せるはずだったエネルギーを、情熱を、時間を、あらゆるコストをピッチの外に奪われることになるのだから・・・


今回はここまでである。
次回をまとめとし、今シーズンの総括としたい。

内容は数々の問題を考慮した上で見えてくる、"最も懸念すべきこと"をいかにして解決するか?
これがテーマとなる。

続く

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クラブと同じように、自分もシーズンを終えるには条件が揃ったかな・・・という感じで(;´ー`)

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【2011/06/04 23:17】 | モウリーニョなこと
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パパンダ
読み応えのあるエントリでした。
そういえばスペインのマドリディスタの作家に痛烈に批判されてましたね。まあでもMARCAが擁護姿勢なので大丈夫なんではないでしょうかね。モウなら。

個人的には結果でても出なくても3年はやってもらいたいですけどね。ペップもね。ペップは来年で終わりって噂ありますけど、どちらかが勝ち逃げみたいになってほしくないですね。その方が勝者が明快にならないと思うんですよね。対戦数が増えたほうが。今年でモウがやめてたらモウが敗者だし、来年ペップがまた勝ってやめちゃったら勝者&勝ち逃げ感が強くなるし。もちろんモウが来年勝ってやめても勝ち逃げ感ありますしね。両者いいライバルだったと後年語り継がれるのを期待したいな

Re: タイトルなし
白面
コメントありがとうございます。

健全なライバル関係が構築できるかどうかは、両者の今後とリーガの対応次第かな・・・という気がしています。
試合が終われば、で多くの関係者と良好なフィーリングを形成することで知られるモウですが、ペップ及びバルセロナを相手に今シーズンやってきたこと、やられてきたことを考えると・・・(-_-;)

まずは来シーズンがどうなるか、ですね。

そこで必要以上のストレスを抱えなければ(苦笑)、口プロレスしてる一方、舞台裏で談笑できるぐらいの余裕は生まれるんじゃないかな、って。

そうした余裕ある振る舞いが、純粋なスポーツ的な関係が、よいリーグを形成してくれると思っているのです。

最終的にはカルチョでも、同じようなことはできましたから・・・

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ようやく語れる機会がきた・・・という感じである。

これまでも幾度か筆を取ろうとし、そのたび様々な事情があって断念してきた。
が、今回は何の制約もない。
思う存分、ありのまま感じたことを綴ることができる。


期待と失望、可能性と懸念・・・
数々の相反する要素を内包したまま2シーズン目へと向かう前に、この1年間の総括を――


ジョゼ・モウリーニョの話をはじめよう。



(1)ジョゼ・マドリー1stシーズンの収穫と損失、その内訳

時間があまりないので、極力簡潔にまとめていくことにする(実際考えていたことをすべて書き連ねていくと、1冊本が出来上がる文量になってしまう)。


・1年間続けてきたことで、モウリーニョのやり方が選手間に浸透したこと(2年目の下地完成)

・“一部”選手との信頼関係、人間関係の構築

使える選手と使えない選手がはっきりしたこと

・18年ぶりの国王杯獲得(モウ・マドリー初のタイトル)

・ジョゼ自身、外から観るだけではわからなかった(バルサコーチ時代以来、十数年間離れていた訳なので)スペインの変化に、中から触れることで実感できたはず


――といったところか。
当然と言えば当然だが、多くは選手に関係する部分ということになる。




次いで損失の方を見ていこう。
尤も・・・これはあくまでモウリーニョ自身の視点に筆者の視点を重ねた、1.5人称から考えてのものであり、

モウリーニョの対抗勢力が

あれやこれやと口にする問題は二の次とする。
さて、この方法で考えていくと・・・

・メディアの語る一部選手との確執(この点は戦術の収穫に載せたものと表裏一体ではあるが)

・“レアル・マドリードにもかかわらず”リーグ優勝も、チャンピオンズリーグ制覇もできなかった・・・→そこから派生する、毎年のように取り沙汰される指揮官交代論

・自身のホーム不敗神話が途切れる

・バルセロナに比べ、下位クラブからの勝ち点取りこぼしが目についた

・今期バルサに通算成績1勝2分2敗、しかもうち1敗は記録的な大敗と大きく負け越す

・UEFAから叩かれまくり、審判&判定に泣かされまくり、身内のバルダーノやマドリディスタ・アナリスタ達までをも敵に回して大立ち回り

・以上のことから、世間的な評価を大きく落とす


――といったところではなかろうか。

言うまでもなく、モウリーニョにとってこの一年は

失われたものの方が大きかった

シーズンと結論付けられるだろう。

無論、来季に逆襲を誓っていることは間違いあるまいが・・・
それでも今シーズンに限って言えば、ここ数年で最も

失望

という単語がしっくりくるシーズンだったはずだ。
自分のようにすべてを承知で見定めようとしているモウリニスタを別にして、多くのフットボールファンにとっては・・・である。




(2)問題を紐解く

次にネガティブな問題、つまり損失に関しては、順に考察していくことにする。
収穫に付いてはこれまで何回か語ってきたマネジメント論、及びモウリーニョ論の中でも触れてきたテーマと被る部分が多いため、今回は割合させていただく。

さて・・・

まず一部選手との確執についてだが、この問題はそもそも情報の出所、事の真意が曖昧であり、現実にはチーム運営に実質的な影響はないレベルと思われる。

唯一可能性がありそうなのはベンゼマの処遇だが、仮に彼一人が気分を害しても他の選手は指揮官と共にあり、またベンゼマ本人も扱いにこそ不満はあるだろうが、モウリーニョそのものの言い分、やり方にある程度の理解はある公算が高い。
でなければ、中盤戦以降劇的にパフォーマンスを向上させ、得点を量産させたあの働き振りに統合性が取れない。

無論、今後一向にその扱いが改善されず、両者の仲が目に見えてこじれる可能性は常にあるが・・・
それこそ、転ばぬ先の杖である。
起こってもいないことを不安に感じ、問題視するのは愚の骨頂だろう。

結論から言って、この問題はほぼ捨ておいて構わない、ということだ。


次いで“レアル・マドリードにもかかわらず”リーグ優勝も、チャンピオンズリーグ制覇もできなかったことについては――流石に狂信・盲目的だった一部のマドリディスタたちも気付き始めているだろう。
自分たちが道を誤っている間に、ライバルは何歩も先に進んでしまっていたということに。


・・・そう。

バルセロナ。
近代フットボール界に君臨する、“ポゼッションからなるゲームの支配”というテーマに対して、ひとつの最適解を出したクラブ。

彼らの圧倒的なパフォーマンスの前には、選手個人のクオリティや市場価格など二の次だ。
自分たちが毎年、ブランドものを買い漁るが如くメルカートで大盤振る舞いを繰り返している間に、相手は着々と自前で戦力を育て、チームを構築していった。

バルサの指揮官であるペップ・グアルディオラ本人が再三口にしていることだが、今日の彼らの成功は

今のチームだけではなく、バルセロナのフィロソフィー、クラブそのものの勝利

なのだ。

無論、ペップがいなければ到底成し得なかった栄光ではある。
が、例えペップがいたとしても、それ以前の『下地』が作られていなければ、今のバルセロナのようなチームを作ることは不可能だったであろうこともまた真理である。


一方――エル・ブランコはどうか?

――ない。
クラブに5年単位、10年単位の運営理念もなければ、勝利のためのフィロソフィーもチームの下地も何もない。

強力な選手はいる。
だがそれだけだ。

攻撃的に

と言うが、では何を持って攻撃的と言うのか?

ポゼッション?ダイナミズム?パスワーク?ダイレクトプレー?個人?集団?

・・・何も決まってはいない。
あるのは世界で最も成功したクラブという歴史と周囲の認識、そして個々のそれは贅沢だがまったく連動性も補完性も考えられずに集められた選手の集団というだけだ。
少なくとも、筆者に言わせればそうなる。


文字通り0からチームを作り始めることを余儀なくされたモウリーニョは、右往左往することなく、一貫したビジョンの元でグルッポの構築を進めていった。

が・・・
率直に言って今期のレアル・マドリードは、最後まで"付け焼き刃"の印象のままに、シーズンを終わってしまった感がある。

1つの集団ではなく、

11人の選手たちが、1つの集団になろうと必死に藻掻いている

ような、そんな感想をたびたび抱いたものだ。
これでは、少なく見積もって20年間に渡って現在のチーム構築を進めてきた、宿敵の後塵を拝するのも道理というものだろう。




幸い、前述の通り国王杯を制し、久方ぶりのタイトルをクラブにもたらした好影響もあり、例年のような“衝動的な”首切りの被害は被らずに済んだモウリーニョ。
現会長であるペレスが、三顧の礼で迎えたことの影響も少なからずあるのだろう。
ここでまた同じ過ちを繰り返すことこそ愚の骨頂だと、ようやく同氏が気づいたのだとすれば尚よいのだが・・・今回はこのテーマについて語る時ではないため、今しばらく様子見することにする。

何はともあれ、最低限――本当に最低限、としか言えないことはおおいに心苦しい限りだが――の責務は果たしたジョゼ。
この問題も、ひとまずは決着が着いたと見てよい。


自身のホーム不敗神話に関しては、本人にとってはあくまでも"誇り高きおまけ"のようなものだっただろう。

モウリーニョはプライドの塊のような男だが、一方で怜悧な実利主義者でもある。
仮に記録と結果のどちらを取るか?と問われれば・・・例えば不敗神話の終焉と国王杯の獲得とが運命の天秤にかかっていたとすれば、迷わず後者を選ぶのがスペシャル・ワンだ。

記録はまた作ればよい。
元々過去を思い返すことが嫌い、と公言するような男に、潰えた記録の話題を蒸し返すことこそナンセンスと言うべきだろう。
(それでも少しばかりの寂寥感、無念さを抱かずにいられないのも、またファンのサガではあるが)


ここまでは序の口・・・半ば些事に過ぎない。
問題は、残る4つの問題にある。


対バルサ、対リーガ対策と、他ならぬクラブ内部の闘争だ。


続く

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クラブと同じように、自分もシーズンを終えるには条件が揃ったかな・・・という感じで(;´ー`)

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【2011/06/03 21:33】 | モウリーニョなこと
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モウリーニョ監督。
エリトナン
昨年サッカーファンになり、レアルを応援しながら、
モウリーニョ監督という存在に注目した1年でもありましした。
最初は、世間一般のイメージのように、

傲慢な俺さまのようにみえましたが、じっくりみていくと、
これは、監督のパフォーマンスであって、
実際は、まったく違うのではないかとシーズンが進むにつれ
思いはじめました!

それは、白面さんやレイコさんの影響も多大にありますが・・・(*^_^*)b

ホーム無敗記録がやぶられたとき、
落胆する選手たちを出迎えた監督の姿が忘れられません。

これからも、エジルと一緒に
モウリーニョ監督も追っかけたいと思ってます(^O^)/

Re: モウリーニョ監督。
白面
追いかけちゃってください(ノ∀`)
自分も微力ながら、お力添えさせていただきます!

できることなら今すぐにでも、直接会って話をしたいぐらいですよ(´・ω・`)

一生に一度でいいから、それが叶うといいなぁ・・・本当に( ´Д`)=3

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