インテルやカルチョに関する話題多め
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モチベーション論(中)「自己犠牲の本質」より続く

●チームは兄弟、チームは家族。
1人が11人のために、11人が1人のために


話をしよう。

これまでの更新、及び筆者の著書「孤独のミステル」でも触れてきたことだが・・・
ジョゼ・モウリーニョはピッチ上に送り出した11人のプレイヤー全員に、何らかの自己犠牲を要求する指揮官である。
特に、氏の前所属であるインテル・ミラノにおいては、ことさらこの傾向が顕著だった。
(現所属のレアル・マドリードでは、例外的にクリスティアーノ・ロナルドに一部守備のタスクを免除するなどの措置を取ってはいるものの、これは単純に
「その方がチームとしての効率が高まるから」
であって、CR7は別の形での犠牲を払わされてもいる




モウリーニョの作るチームにおいては、個人のエゴは完全に淘汰され、ベンチメンバーからベンチ外の選手に到るまで、全員に完璧な集団として機能することが求められる。
この文章を一読しただけでは、まるで自由に息をすることすら許されない、前時代的・軍隊式のチームを連想される方もいるかもしれない。
だが、その認識は正しくない。

彼はチームが結束し、ひとつの集団としてまとまるために、

チームとは家族である

ことを説く。
実際に擬似的な家族集団を形成し、モウリーニョ本人は一家の長として君臨する。

軍隊式ではない。
どこまでもそれは『家族的』である。

これは数あるモウリーニョのフィロソフィーのうち、自分が最も読み解くのに苦心した部分のひとつだった。

他は理屈としてわかる。
細かな練習方法や具体的な戦術設計、選手の評定方法など、全体像が掴めなくても感覚的に理解できている者は多いと自負している。

他方、これだけはその“必然性”が、長い間見えなかったのである。

別段家族でなくとも、群体としてまとまったプロ集団であって何がいけないのか・・・?
何故
家族のように
結束しなければならないのか?
単なる結束ではいけないのか・・・

その理由が、なかなか見えなかったと言ってもいい。

そんな中、朧げながらその必要性の一端を掴みかけたのが、2009-2010シーズン、インテルにおいて4-2-1-3が採用された時からだった。
正確に言えば、同システム化において、実質FWとは名ばかりの厳しい上下運動とプレッシング、ディフェンスを強いられながらも、懸命にプレーするサミュエル・エトーを発見してのことである。

正直に言えば、それまで自分の中のエトーは

ストライカーとして良くも悪くも“ゴールへの執着”に溢れたハンター

という印象が強かった。
セカンドトップはともかく、少なくともFWというポジションから大きく離れた、実質的なサイドプレイヤーとなることを了承するような“タマ”ではないと考えていた。

だが、エトーはそれをやった。

信じられないほどよく走り、信じられないほどよく相手を追った。
ボールを奪っては前に運び、幾度となく相手を引きつけ、何本もの決定的なパスを供給し続けた。

これは筆者にとって、極めて衝撃的なことだった。
あれほどの得点力を持った選手が、あれほど得点を決めることにこだわりを持った男が、何故・・・?



エトーは如何なる理由で、名目上FWとは言え、実質的にサイドハーフ(しかもCLでは、多分に守備的な仕事を要求されがちなポジション)でプレーすることを受け入れたのか。
その問いかけに対し、同選手はあるインタビューで、以下のように答えている。

モウリーニョが望んだからだ。
彼の言うことはいちいち真っ当で、僕はそれを受け入れた。

彼のために、チームのために、僕は犠牲を払うことを受け入れたんだ



――瞬間、疑問が氷解した気がした。
断片的にしか捉えきれていなかった情報が、自分の中でようやく一本の線に結実(手前勝手な錯覚と言われてしまえばそれまでだが)したように感じられたのだ。

個人の名誉のために、自分自身の満足のために走り、背負い、ぶつかることは極めて難しい。

特に超一流と称されるような選手たちが、そうしたスタイルの元で喜びを獲得することは至難の業だ。
それまで常に、どこのチームでも中心として、周囲が『彼』のために働いてきたような・・・
そんな環境でプレーしてきた選手たちばかりだからである。

だが、それが家族のためであればどうか?
愛する人のためならばどうか?

極端な話、 “コミュニティの生存”のためであればどうか――


ジョゼ・モウリーニョが作り出している、作り出そうとしているのは、そうした擬似的な

極限の状況

ではないかと考えたのである。


兄のためなら、走ることができる。
弟のためなら、是が非でもゴールを決めてみせると意識を高めることができる。

息子のために、耐えて凌ぐことができる。
父のために、心臓が壊れるまでボールを追う覚悟ができる。

自己の名誉のため、監督から命じられたがためだけでは、こうした活動に全力を尽くすことはできない。
どうしても、そこには上司と部下、同僚以上の「何か」が必要になる。

それが「仲間」であり、更には「家族」なのではないか・・・?

軍隊式の縦割り組織では実現することができない、
他者のために“家族のために自らが負担を背負う喜び”を実現可能とする、それが擬似的な家族性ではないかと考えたわけだ。

故にモウリーニョのチームでは、ゴールゲッターとはあくまでチームの一部に過ぎない。
トレクァルティスタ、トップ下も同じだ。

彼のチームに、システムの中心を担うキープレイヤーはいても、純正のスターは存在し得ない。

チーム全員が、犠牲を払う者に感謝しなければならない。

1人ひとりが、自分の今のプレーは残り10人(ないしベンチを含む関係者全員)がお膳立てしてくれた上で存在することを、噛み締めてプレーできなければならない。

少なくとも、表面上だけでもそうした態度、姿勢で臨まない限り、スペシャル・ワンのチームにおいてレギュラーポジションを獲得することはできない。
これは過去、彼が率いたすべてのチームに共通する性質である。



万人がそれを評価してくれることがなくとも、集団内では信頼に足る仲間たち、家族たちが、自分の存在価値を認めてくれている。
褒めてくれる。

それがモウリーニョのチームにおいて、多くの名だたるスタープレイヤーたちが自己犠牲を払うことのできる、一つの決定的要因となっている。
これこそが、『家族』の意味なのだ。

※加えてモウリーニョはイタリアのメディアを巻き込み、掻き回し、インテリスタ以外の大半の人を敵に回して

自分たち以外の者はすべて敵だ。

頼れる者は自分たちだけ。信じられる者は家族だけ。
結束せよ


と錯覚を呼び起こし、三冠達成の大きな原動力としたわけだが・・・
これは前述した著書内にて詳しく語ったことであるため、今回は割合させていただく。


◇おわりに

言うまでもなくモチベーションの種類、効果的なアプローチは、ここに記載した限りではない。
すべてをここに載せきれるわけもない。

今回申し上げたことはあくまで一例であって、モウリーニョの項に関して言えば、彼が執心している「家族的な関係の構築」がどのような意図で行われているのかを、筆者の視点で勝手な解釈を加えただけに過ぎないものだ。

他方、相手を抜き去る爽快感、ゴールを奪う爆発的な歓喜に比べ、人の本質的に忌避されがちな活動である自己犠牲的なプレーが、

家族的な集団における、家内で貢献することへの喜び

によって容易に成り得ること。
この点だけは確信を持って言うことができる。

冒頭の断りに沿ってお話しすれば、これは精神論ではない。

だが、一般的に「精神」という単語でくくられている脳の働きが、

脳の忌避する動き(=しかし競技の性質上、非常に有用な動き)を高いレベルで遂行するのに、大きく貢献できる可能性がある

ことを示した――
そういう手記だったと自分では解釈している。


今回の執筆に当たっては、本当はもっと、もっと書き連ねたいことがあった。
掘り下げたいことがあった。

例えばクリスティアン・キヴやマルコ・マテラッツィ、あるいはジェンナーロ・ガットゥーゾのような現存する自己犠牲の体現者たちを引き合いに出し、彼らの生い立ちや精神性、集団内における機能性などについて解説していきたい・・・という欲求はあった。

だが、ご存知の通り、自分は他に仕事のある身である(苦笑)
趣味にかまけ、日々の営みを疎かにするわけにはいくまい。

限られた時間内では、これが今自分にできるぎりぎりのところであったこと――
言い訳がましいことを百も承知で、何卒ご了承いただきたい次第である。


今後の更新予定に関しては、ミラノデルビーとCLシャルケ戦のプレビューは、現実的に困難だろう。
4月に入れば、自分の周辺はまた急速に動き出す。
こちらは事後報告ということになりそうである(あるいは、それすらもできないかもしれないが・・・)。

他方、以前アンケートにご協力いただいた
「代表論」
に関しては、現在少しずつながら執筆を進めているところにつき、今しばらくお時間をいただきたい。
全体を100%として、50%ほど原稿が進んだら、ひとまずそこまでを読んでいただくという運びになると思う。

以前に比べ、格段に更新頻度は落ちている。
それでも、時間を見つけてちょくちょくと娯楽(妄言)をご提供できればと考えているので、よろしければ今後もお付き合いいただきたい。

<了>

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【2011/03/29 22:11】 | フットボール叙事詩
トラックバック(0) |

No title
ガッピル
チームを家族として置き換えているのか。
そう考えるとわかりやすいですね。

自分には全く利益がなくとも他人を生かすべく
己を犠牲にすることであらゆる欲求を満たすことができる。

高度な価値観のように思えたが、人間が生まれて初めてすぐに
家族というコミュニティに属することで自然と養われているのか。





No title
じゅんや
我々もモウリーニョのような男になっていきたいですね。理屈も必要ですが、この人の言うことなら黙って従おう!って上司が過去にいましたけど、通じ合えばそういうもんだと私は思っています。

なるほど
岩氏(いわし)
先日の長友とキヴの引き合いで『比較にならない』というのはこういう事か。

そう考えるとレオさんがどういったアプローチで【今の家族】を築いていっているか興味ありますな^^

モウの時のような一体感とはまた違うものを感じます。というよりモウがその意識を【一度】彼らに植え付けていなかったらレオさんはここまでの成果は残せなかったかもしれませんね。


っていうかここに来るとインテルにどんどん興味が出てくるな~笑

No title
こやた
はじめまして。
いつも楽しくROMっております。

コンテクストに大きく左右されることなく、継続的にハードワークのできるプレイヤーが少数ながら存在しているように思えます(特にデビッド・ベッカムはその典型に見えます)。
彼らのその動機づけの源泉について、白面さんの見解などがあればお訊きしたいのですが、いかがでしょうか。

初投稿でいきなりこんなコメントをつけてしまって申し訳ありません・・・
これからの更新も楽しみにしています。

No title
junchang
ハードワークお疲れ様です。
なるほど・・・・エトーの件に関してはバルセロナ時代、インテルマンチーニ時代とモウリーニョ監督時代では明らかにモチベーションの種類が違ったのですね!
特にバルセロナ時代はライカールト政権下にてチームを混乱に陥れた元凶とも言われていましたから監督に求められるモチベーターとしての役割を果たすスキルが如何に重要かが解ったような気がします。
デコに関しても同じことが言えるのかなぁ?(デコの場合はエトーとはまた違った展開でしたから同様ではないのでしょうけど・・・・)

白面さんにはポルト時代のモウリーニョ監督の事を聞いてみたいです!

コメントありがとうございます
白面
>ガッピルさん

あくまで自分が思うに、ですけどねw
ただ、いずれ自分が実際に何らかの集団を率いる機会があるとすれば・・・一考すべきテーマとは感じています。

果たして、世界中に存在するあらゆるコミュニティのうち――
いくつが、何人がモチベーションの『共有』を実現できているのか。

ふと、そんなことを夢想してみた自分であります。

>じゅんやさん

彼のことは忘れたくても忘れられないでしょう、アンチまで含めてね(笑)

故に彼は『スペシャル』なのです。
観衆に対してでも、相手に対しても勿論ながら、何よりも部下にとって特別な存在だと思うのですよ・・・
ジョゼ・モウリーニョという男は。

>岩氏さん

あくまで“今は”、ですけどね。
長友はまだまだ若いです。今後どういう形で成長していくかはわかりませんですよ(笑)

ラファ・ベニテスは、最後までモウの亡霊と戦い続けました。
一方レオは、モウの偉大さを認めた上で、積極的に慣習のうち使えるものを残し、そこに自分のやり方を付け加えていく方法を取りました。

いずれ詳しくお話しする機会があれば、その時にでも・・・
そうですね、インテルが優勝できれば一年間を総括とかしたいです(笑)

>こやたさん

はじめまして。
応援ありがとうございます。

ベッカムはやはり、マンチェスター・ユナイテッドで育ったことの影響がとても大きいと思います。
ハードワークの文化の中で育つうちに、ハードワークが『当たり前』になってしまえば、そもそも疑問が生じ得ない。

慣れ親しんだフットボールカルチャーは、逆に脳に安心感を与えるものと思うわけですね?

勿論、それだけではなく彼自身の献身性、プライド、フットボール哲学・・・
加えて、代表への並々ならぬ意欲といったものが、複合的に働いている結果と考えています。

他にも、例えば家族性については、バルセロナのそれについて語らずに済ませられるわけもなく・・・
また、民族性による自己犠牲の性質の違い、捉え方の差異等、本来なら触れたいところがたくさんあります。
むしろあり過ぎて(苦笑)

いつかゆっくり時間が取れる時が来れば、あるいはそれこそまた本でも出すことになれば、またじっくり掘り下げていきたいテーマです。

>junchangさん

はい、勿論違います。

指揮官が10人いれば、10人全員モチベーションの作り方は異なる・・・
それこそ、戦術以上にバラエティに富んでいると考えています。

にも関わらず、ボールがその場にないというだけで(笑)、これだけ奥深いテーマをほとんど誰も取り上げようとしないのが以前から不思議でした。
実際には、自分の見方が幾分以上に偏りすぎていただけなんですけどね・・・
世間様との着眼点の違いを実感しだしたのは、ここ1~2年のことです(苦笑)

ポルト時代かぁ・・・
その頃は海外のフットボールをほとんど見る機会もなく、今考えると実に惜しい。
というか悔しいです(爆)

関連する書籍や、当時の雑誌なんかも見つけたら買い漁るようにしているのですが、なかなかポルトガルを取り扱ったような日本の雑誌はなくて(-_-;)
・・・やっぱいずれ、現地に直接赴くしかないのかなぁ・・・?w


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