インテルやカルチョに関する話題多め
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唐突で恐縮だが、ひとつ質問をしよう。

皆様にとって
フットボールの指揮官たる資格

とは、いったいどんなものだろうか。

ライセンスの保持か?
高い指導力か?
戦術眼の有無か?

情熱か?
知識か?
技術か?

――どれも確かに必要な要素だろう。
だが、どれも決定的なものではない。人によってその定義は様々で、一様には安定しないものだと言える。


極めて個人的な定義を口にすれば、決定的な条件は二つある。

ひとつは、社会の法に反する行為に手を染めていないこと。
どれほど有能であっても、世間に迷惑をかけるような、フットボールの評判を貶めるような者は、関係者として認めることができないからだ。

次いでもう一点。

自らの野望や執念・情念といったものを、ピッチ上に表現できること。
あるいは、しようとしていることである。


今季のインテルの指揮官たちを見れば、一目瞭然だろう。

ジャン・ピエロ・ガスペリーニは、異常なほどの執念と情熱を持って、自らのスタイルに殉じた。



クラウディオ・ラニエリは、自信の価値を証明するため、濁流に飲み込まれたチームを沖にあげるべく、流れに必死に抗い続けた。




アンドレア・ストラマッチョーニは、自身の置かれた状況を理解し、野心と反発を持って、世間の懐疑と嘲笑を押し返そうとしている。



確かに彼らは敗者、あるいは挑戦者であるかもしれない。
だが、紛れもなく指揮官だ。
そこには矜持があり、戦いへの飽くなき意思があった。

その他、ジョゼ・モウリーニョ、ペップ・グアルディオラ、アレックス・ファーガソン、ハリー・レドナップ、アーセン・ヴェンゲル、オットーマル・ヒッツフェルト……
世界の名だたる名将たちは、質は異なれ、間違いなく皆、ピッチ上に己の情念を表現し続けている。

ファビオ・カペッロ、フェリックス・マガト、ディエゴ・マラドーナ、レイモン・ドメネクらですら、その意味では間違いなく指揮官だ。
有能か無能か、ピッチ上で表現するものが芸術なのか、野心であるか、エゴイズムであるかは関係ない。


形は異なれ、『勝利』『成功』への欲求を、その実現に心血を注ぐ者。
これを指揮官という。


その意味で、昨シーズン終盤以降の相馬直樹は、もはや指揮官ではなかった。

彼がピッチにさらけ出したのは、自身の漠然とした不安だけだ。
それも自らの意思で表したのではない。取り繕えなくなったものが、滲み出てしまったというのが正しい。

そこには、結果への執念が欠片もない。
スタイルへの情念が微塵もない。

ベンチに座っていたのは、夢想と自信を膨らませ、肥大させた後――
非情な現実に打ち据えられ、進むべき道を見失った、哀れな一人の男だけだった。



だからだろうか?

なんとも皮肉なことだが……
今季、これほどの体たらくをもって解任に到っても、筆者はどうしても相馬直樹個人を恨むような、怒るような気にはなれなかったものである。

憤るほどの価値を、彼には抱けなかった、というのは、むしろ非礼なのやもしれないが――


そのような訳であるから、このほど発表された新指揮官、風間八宏。
彼に望むものも多くはない。



さて……風間はどういった方法で、己の何をピッチに表してくれるのか。
そのために、どのような方法で選手と関係を作るのか。何を持ってサポーターの共感を得ようとするか。

実に興味深いところである。

フロントの愚行、失策と目の足りなさは、今後数年は忘れまいが……
まずはピッチ上の戦いに集中しよう。

振り返るのは、戦いがひとまずの決着を見てからでいい。

<了>

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【2012/04/21 07:05】 | 川崎フロンターレなこと
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らぶじい
こんばんは

今季も鋭い指摘と川崎の後押し?を
お願いします

Re: タイトルなし
白面
お返事遅れまして申し訳ございません

今季はシーズン途中からでも、川崎のことをぽつぽつ書いていくことにしました。他の皆さんとは、どうも書くことの毛色が異なるようで、これなら被る心配もあまりないかな…とw

よろしくお願いします

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