インテルやカルチョに関する話題多め
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(2)報道の前提は“偏っている”こと

マスメディアとはつまり、情報の料理人のようなものだ。
同じ素材(情報)を用いても、調理する人間が違えば出てくる料理(報道)はまったく異なるものになる。

生の魚や家畜をドン、と客に出せる店が存在しないように、本当の意味で生の情報を提供できる人間は、世界のどこにも存在しない。
刺身にしても、ナイフや包丁を入れて加工しなければならないのである。
丸焼きにしようとすれば、火で炙って熱を素材に通すことになる。

情報も同じだ。

極力、現物に近い形で発信しようと心がけることはできても、
完全な意味で生もの、情報という素材をそのままの形で報道することはできない


更に、忘れてはならないことがある。

マスメディアとはつまり、情報を取り扱う群体であり、
金を稼げなければ食っていけない

顧客が喜ぶ、好んで金を支払うニュースを発信できなければ、彼らは収入をなくして死に絶える。
ここでの「顧客」が大衆か、特定の誰かであるかは問題ではない。

金を払ってくれる人間」がいる形に、情報を加工して売却する。

それがマスメディアの本質
”なのだ。

海外のメディア、日本のメディア・・・

彼らは皆、すべからく「顧客」の趣向に合わせて情報を加工する。
同時に皆、必ず何かに、どこかに視点が偏っている


そして、それは正しい。

「自分は公平中立なメディアだ」

などと、厚顔無恥に口に出してしまえるマスコミほど信用できないものはない。
ジョークのつもりとしても趣味が悪い。

清廉潔白な政治家など存在できないように、群体・集団となった人間が個人の手ではコントロールしきれなくなるように、マスメディアとは、常に何かに偏った存在なのである。
また、こうした報道のサガを自覚できている限りにおいて、

「自分たちはこういう見地から物事を見、考えていますよ」

という姿勢を取っているだけでも、そのメディアは一定以上の信頼に値する情報と成り得ると言える。

「なるほど。

~~~を自称するこうしたメディアから見た場合には、
この出来事はこういう形で発信されるのか


という理解が可能になるからである。
その限りにおいて、こうした情報、報道は無価値なものにはならないのだ。


スポーツマスコミにも、これはまったく同じことが言える。

長友寄りの報道でいい。
インテルは彼らにとって、長友という選手を入れておくための器でよいのである。

彼らが見ているのは、インテリスタではない。

彼らの顧客はインテリスタではない。


長友ファン、一般フットボールファンに見てもらうことを目的に情報を調理する以上、
より多くの顧客に売れるニュースに加工して報道するのは必然なのだ。


後は単純に、それを好んで口にするか、最初から近づかないのか・・・
そのどちらかの選択肢があれば事足りる。

あるいは、例えば負けた腹いせ、八つ当たりする対象にはなり得るかもしれない。
しかし少なくとも筆者は、そうした自分の負の感情のはけ口に報道を使用したいとは感じ無い。


極論だが、メディアが情報を恣意的に解釈して報道すること、
あるいは一部、改ざんして世に出すこと――

唾棄すべき愚行ではあるが、これもまた彼らの権利の一部である。

ジョゼ・モウリーニョを貶めようとした、イタリアのマスメディアを筆者は責めない。
長友を持ち上げるために、レオナルドの采配やサネッティ、キヴらをこき下ろすメディアがいても構わないと考えているわけだ。


※それでもモウリーニョは、決して情報の圧力に屈することなく、最後まで自分の流儀を貫いた。

誤解なきように言っておくと、筆者は

率直に言ってああいう連中が嫌いだ。

それも大嫌いだ。


特定の意思でもって人を不当に叩こうとすること、特にスポーツの世界においてそれを行うようなメディアは、容認はできても奨励はできない。
自ら関わりたくもない(例えばMARCAなどに対しては、ある一件以後一切情報ソースとしての信頼性を寄せなくなった)。


他方、好みでないからと言って排斥する、ましてや攻撃するような事態もまた、筆者は正しいとは思えない。


マスコミを厭うのは構わない。
大衆メディアを忌み嫌うのもいいだろう。
批判するのも問題ない(批判されないようなメディアには、逆の意味で価値がない)。

だが、論破ではなく物理的にこれを攻撃しようとする、排斥・根絶しようという意向は筆者は明確に間違いだと考える。

そうした行動は、一方で言論の自由を奪うことにも繋がってしまうからだ。

自分が気に入らないからという理由でメディアの存在すら認めないという思考に行きつくことは、

原理主義やファシズムのように、他者の世界を認められない
ものへと変貌を遂げていく。

この点を、人は常に危惧して行動しなければならない。

少なくとも、筆者は絶えず気を配って、日々あらゆる情報と接するようにしている。

メディアの報道に反発するのはおおいに結構なのだが、そこで攻撃に転じてしまった時点で、

彼之人自身が忌み嫌う、メディアと同質のものになってしまう

――それが、筆者は恐ろしい。
耐えられない、おぞましい。

ミイラ取りがミイラにはなりたくない、彼らと同種の過ちは犯したくない・・・
その恐れが、警戒心の高さが、今回こうして急ぎ筆を取らせていただいた直接の理由ともなっている。




大切なことは、そうしたフットボールの価値を不当に貶めるメディアの存在の馬鹿らしさ・愚かしさを皆が認識し、最初からそんな情報が売れない社会になっていくよう――
一人ひとりが子に、友に語っていくことだと考えている。

マスコミは営利集団だ。
売れない報道は行わない。

我々が取捨選択し、そうしたメディアを淘汰する意思の元で活動している限りにおいて、愚かなメディアは衰退していく運命からは逃れられない。
メディアの生殺与奪の権利は、至極小さなものながら、確実に我々の手の中にある。
実際にここ日本でも、一部大手メディアがここ数年凋落著しいことは、すでに周知の通りだろう。


メディアが厳密な意味で罰せられるべきは、

・絶対的多数の視点から見て明白な情報の改ざんを行った場合と、

・同じく絶対的多数の視点から見た際の自分たちの立ち位置を自覚できていない状態で報道を行っている場合、

・現行法に違反する形で個人の人格・権利などを侵害した場合に、

・我々の血税を不当に横領、または搾取している

ような状況だ。
それ以外の点に関しては、私たち情報を摂取する側の心がけ次第、生き方次第で如何様にも回避、やり過ごすことが可能な問題がほとんどだと筆者は思うのである。

それでも不快な気分にさせられ、見たくもないものを無理やり見せられてしまうこともある。
が、そこで直接的な攻撃に応じてしまっては、私たち自身の価値がその種のメディアと同じ場所まで堕ちてしまうことになる。


固執すれば損をし、感情的に応じるは愚の骨頂。
淡々と接し、自分に益する形で関わるのが最良の選択となる――

こうした考え故に、筆者にとってのメディアとは、すなわち

現象

なのである。


この前提の元、冒頭で触れたような、一部神経を尖らせているインテリスタの皆様にお伝えしたい言葉がある。

筆者が思うに、長友報道そのものに問題はない。
マスコミはそうしたニーズに応えるために、顧客の口に合う形に、情報を加工して売却しているだけだ。

この種の情報が貴方にとって一切無益なものであれば、ただ近寄らず、また気にしなければ、それ以上の害はないものなのだ。
逆にナーバスになって反応している限りにおいて、ある面ではあなたが無価値と感じる情報の伝播に協力してしまっていることに気が付けば、実に非生産的な活動に感じられてくる人も多いのではなかろうか。


彼らの作り出す情報・報道に罪はない。
また、同時に価値もない。

私達はただ、愛するクラブと選手のため、自分自身の誇りのため、恥ずかしくない振る舞いを心がけていればそれでいいと考えるのだが・・・

果たして、いかがなものだろうか。

続く

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【2011/02/15 00:16】 | フットボール叙事詩
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No title
junchang
学生時代一時期本気でジャーナリストになりたいと思っていた頃のジャーナリズムの前提として認識していたのが「主観ではなく客観を貫くこと」でした。(かなり夢見がちな学生でしたね^^今の嫁からは「夢見てんなよ!」的な突込みを入れられてしまい・・・・^^)
最近のように「煽る」記事は正直自分もうんざりすることがあります。

うんざりさせられますよね(苦笑)
白面
節度を欠いたメディアが、昨今世界中で氾濫しまくっているのは、正直見ていておおいに気持よくありません(苦笑)

今回は純粋な意味でのフットボールからはやや離れた内容ですが、最終回はもう少し関連性の高い内容になると思います。
ご賞味くださいw

ふむ。同意
岩氏(いわし)
報道を出すも自由、読むも自由

最終的には読む側が判断して有益であれば取り入れる、無益であれば関わらない。

これに限りますな。ブログも一緒で。


少なくとも岩氏はメディアが発するものは興味があれば目を通します。有益であれば取り入れるし、無益であれば取り入れない。それだけですね。


移籍報道なんかもとりあえず全て真実と捉えます。
んで違ってたなら違ってたでいいやみたいな(笑)

Re: ふむ。同意
白面
まさにそこですw

これが一般的な情報、生活に関わる情報であれば無作為に自分にとって都合のいい、口当たりのよい情報だけを摂取していることになってしまうので、また新たな問題が生じますが・・・

フットボールは、結局のところ娯楽。

ならそれでいいじゃないか、っていうね(笑)

喧嘩するのも、牙を剥くのもよいのです。
ただ、マスコミ嫌いが理由でメディアを敵視しているのであれば、反応してしまった時点で非生産的行為がすでに始まってしまっていますよ・・・

と、そういう感じですね( ´・ω・)

この機会に一度自分自身の立場を明確にしておく意味でも、少々フットボールからは離れる話題ですが、やっておくのもいいかなと・・・w

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この記事へのコメント
No title
学生時代一時期本気でジャーナリストになりたいと思っていた頃のジャーナリズムの前提として認識していたのが「主観ではなく客観を貫くこと」でした。(かなり夢見がちな学生でしたね^^今の嫁からは「夢見てんなよ!」的な突込みを入れられてしまい・・・・^^)
最近のように「煽る」記事は正直自分もうんざりすることがあります。
2011/02/15(Tue) 11:05 | URL  | junchang #-[ 編集]
うんざりさせられますよね(苦笑)
節度を欠いたメディアが、昨今世界中で氾濫しまくっているのは、正直見ていておおいに気持よくありません(苦笑)

今回は純粋な意味でのフットボールからはやや離れた内容ですが、最終回はもう少し関連性の高い内容になると思います。
ご賞味くださいw
2011/02/15(Tue) 22:38 | URL  | 白面 #-[ 編集]
ふむ。同意
報道を出すも自由、読むも自由

最終的には読む側が判断して有益であれば取り入れる、無益であれば関わらない。

これに限りますな。ブログも一緒で。


少なくとも岩氏はメディアが発するものは興味があれば目を通します。有益であれば取り入れるし、無益であれば取り入れない。それだけですね。


移籍報道なんかもとりあえず全て真実と捉えます。
んで違ってたなら違ってたでいいやみたいな(笑)
2011/02/16(Wed) 13:26 | URL  | 岩氏(いわし) #-[ 編集]
Re: ふむ。同意
まさにそこですw

これが一般的な情報、生活に関わる情報であれば無作為に自分にとって都合のいい、口当たりのよい情報だけを摂取していることになってしまうので、また新たな問題が生じますが・・・

フットボールは、結局のところ娯楽。

ならそれでいいじゃないか、っていうね(笑)

喧嘩するのも、牙を剥くのもよいのです。
ただ、マスコミ嫌いが理由でメディアを敵視しているのであれば、反応してしまった時点で非生産的行為がすでに始まってしまっていますよ・・・

と、そういう感じですね( ´・ω・)

この機会に一度自分自身の立場を明確にしておく意味でも、少々フットボールからは離れる話題ですが、やっておくのもいいかなと・・・w
2011/02/16(Wed) 23:10 | URL  | 白面 #-[ 編集]
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