インテルやカルチョに関する話題多め
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※ 以下、今晩中にアップされる記事は、管理人が通常更新にて行っている記事の加筆修正、裏打ち、研磨、その他すべての作業を一切行っていない、いわゆる『生原』的なものです。

正直なところ、「これ、人目に出していいレベルに達してるか・・・?」という疑問はおおいにあるのですが、地震の影響で生活環境、日常も激変している中、今の自分に時限性の記事で満足のいくものは、どう足掻いても書ききれないと判断しました。

筆者の『インテル愛』を確認していただく程度の役割しか果たし得ない駄文ではございますが・・・
それでもよろしければ、暇つぶしにでもご賞味ください。


(3)バイエルンの事情

ここ数週間、せいぜいが得点(失点)シーンしか見ることが叶わない状況にあったため、その詳細を正確に把握できているわけではないが・・・

今のバイエルンは、およそ正常な状態にない。
少なくとも数字を見る限りにおいて、バイエルンの最終ラインに何らかの問題が生じていることは明らかだ。

こうした状況にあって、さて――ファン・ハールが、この一戦をどう捉えているのか。
どのように臨む気なのか。
その内訳によって、試合の内容はガラリと変わってしまう。


とは言え、先に申しあげてきた通り、ここ数週間は個人的な事情でインテルの試合すらまともに視聴することが叶っていない状況にある。
実際に映像から指揮官の“機微”を確認できていない以上、結論から言って、まったく予想がつかなかったことを白状するしかない。
妄想と憶測に基づく、イメージに拠る推察は、本来なら極力控えるべきだろう。


ただ・・・そんな中であえて何か言うとすれば。
バイエルンの指揮官、ルイス・ファン・ハールが、

複雑な連携を必要とする布陣は組まない、大きな博打は打ってこない

可能性が高い、という点か。


――その理由を一から説明するためには、少々の寄り道をしながら、まずは指揮官の人となりについて説明していくことにする。

ファン・ハールという指揮官は、元々、緻密な準備と戦略によるマネジメントを得意とする反面、あまりにも自分ですべてを管理したがる傾向が強い。
そのためにフロントや選手と衝突したことも一度や二度ではなく、昨夏のメルカートでイタリアに帰還したルカ・トニ、今冬のメルカートでまさかのミラン入りを果たしたファン・ボメルらの証言からも、

エキセントリックな独裁者

的な性質を、バイエルンでも存分に発揮中なことが伺える。

これはジョゼップ・グアルディオラ(現バルセロナ指揮官)とズラタン・イブラヒモビッチ(現ミラン)のように、ウマの合う、合わないの問題ではない。
ファン・ハールという人間がそもそも持っているパーソナリティ、キャラクターの方向性の問題だ。

こと人間性という点に関して言えば、グアルディオラやジョゼ・モウリーニョといった指揮官に比べ、ファン・ハールに対する称賛の声は、驚くほど他人行儀なものに限られる。

いいとか悪いとか、そういうものではない。

問題なのは“他人行儀”、ということだ。


例えばペップは、多くの選手から愛されている。
取り分けシャビやイニエスタ、メッシらのように典型的なカンテラあがりに彼のことを語らせれば、およそ信仰にも等しいような賛辞の言葉が並ぶことになる。
そこから伝わってくるのは、深い信頼と愛情だ。
監督と選手である以前に、人と人として接することが、ペップのマネジメントには大きなテーマとしてあることが伺える。

ジョゼ・モウリーニョも同様だ。
・・・否。彼の場合は指揮官に冷遇された選手ですら、

「あいつは人間として最低だ。だが監督としては最高だ

と言わしめたほどである。
人の上に立つ者として、これ以上の賛辞の言葉があるだろうか?

人間性の合わない、いわゆるウマが合わない人間相手にまで一目置かせ、認めさせる。
これこそ、モウリーニョがいかに選手の人間性を重視したマネジメントを行っているかの証明ではないか。

フットボーラーとしての幸せよりも、人間としての幸せがあることが最重要だ」(2009年、アドリアーノ失踪事件時)
といったコメントからも、いかにモウリーニョに人としての“かわいげ”、人間的魅力に溢れているのかが知れるというものである。


翻ってファン・ハールの場合、その手腕に対する評価は確たるものがある一方、驚くほどこうしたエピソードが少ない。
あるのは奇人、変人、戦術家、戦略家、独裁者、キチ○イ、完璧主義者・・・
よいものも悪いものも、ほぼすべての評価に共通しているのは

発言者とファン・ハールの距離が開きすぎている

という点である。

リベリやロッベン、ミュラーにラーム、ゴメス・・・
現在バイエルンに所属している中心選手の彼らですら、指揮官の手腕には確かな実力を認めている一方、

ただの一度も『人間ファン・ハール』について、指揮官以前に隣人としての彼について何かを語ったことがない

のだ。
少なくとも、筆者が目にしてきたインタビューの中ではだが・・・

どれほど多くのタイトルを勝ち取ろうと、どれほどの戦場を共に乗り越えようと、決して選手と慣れ合ったり寄り添ったりはしない――
つまりそれがファン・ハールのマネジメントの哲学であり、同時に彼という人間の生き方なのだろう。


だからこそ、選手がどんな理由はあれども彼に従い、チームのために力を尽くそうとしている間はいいが、
一度チームの状態が悪化し、選手が

いくら尽くしても、この指揮官の元では報われない

と感じた瞬間から、確実にそのクオリティーは下がっていくことになる。
チーム然り、個人然りである。

選手は人間だ。生ものだ。
いくらクラブ愛が強かろうと、チームに対する献身性・自己犠牲の精神を有していようと、

汝の隣人が、師が愛すべき対象でなければ、本来の実力+αの能力は発揮できない”。

いくら踏ん張ろうとしても、いくらなんとかしようともがこうにも、そんな彼らより利己的な選手たちが、先にみるみるとパフォーマンスを落としていく中、集団としての機能性は確実に失われていく

どんな名手も、フットボーラーである以前に、感情ある一人の人間だ。
朱に交われば紅くなる。

しかも、指揮官自身に原因の一端がある以上は――
言わずもがなというべきだろう。

ルイス・ファン・ハール。
これほどの手腕と実績を持ちながら、これほど愛されない指揮官を、筆者は他に知らない。


それだけに、チームとしての連動性、自己犠牲が要求される組織的なスタイルを、今のバイエルンが施工するのは困難なのだ。


ファン・ハールは、性格的に気性の激しさを抱えている一方、リスクとリターンを秤にかけて冷静に――ともすれば“冷徹”に取られかねないほど――状況を精査する一面を持ち合わせている指揮官である。
現状を正確に彼が把握しているのであれば、今のバイエルンが高い位置からのプレスや中盤、DFラインからの攻撃参加(及びその“フォロー”)といったリスキーな戦術を取るのに相応しくない状態であることは、筆者の如き素人に言われるまでもなく熟知しているはずである。

過去、幾多のこうした高度な戦術的カルチャーを持ったチームが沈んでいくのを見てきたが・・・
それは往々にして、チームに迷いが生じた時、複数の選手が肉体・精神的に過度の疲労を抱えている時、指揮官と選手の関係がこじれてしまった時に起こる類のものだった。

哀しいかな。
今のバイエルンには、そのすべての条件が該当してしまう可能性があるのが現実である。


なんとか集団としての体裁は保っているが、今のバイエルンは群体ではあっても、厳密な意味でのチームではない。
ましてや、家族では絶対にない。

こうしたチームの場合、拠り所となるのは、モチベーションの源となるのは自己犠牲や友情よりも、個人的な誇りやプロフェッショナル精神の純度に頼る部分が大きくなる。
もちろん、チーム内の仲の良い友人とは十分に意思疎通・鼓舞叱咤といった関係ができているが、一人ひとりが全員のため、それこそクラブそのもののために己のすべてを尽くす精神は育てようがないからだ。

背負うもの、気負う部分が減るということは、余分な消耗や重圧が少なくなる一方、11人全員、ベンチを含めた全選手に同じ方向を向かせることは困難になるということでもある。

果たしてそれが吉と出るか、凶と出るか・・・

ある意味では、名門バイエルン・ミュンヘンの、真価を計るにふさわしい状況なのかもしれない。


指揮官とイレブン、その他スタッフやサポーターまで一体となって、この苦境を乗り切ることができるか・・・?

この一戦は今シーズン、今後の戦いを占う上で、バイエルンにとっても正念場の死地なのである。


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【2011/03/15 22:51】 | インテルなこと
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