インテルやカルチョに関する話題多め
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前回、モチベーションや指揮官と選手とのコミュニケーションといった部分が、インテルとバイエルンの決定的な差となったと書いた。
この点について、何件か

それは精神論ということか?

という問い合わせをいただいたので、もう少し詳しく解説しておくことにする。
言葉足らずで、誤認されてしまっては元も子もないからである(苦笑)


○すべての営みは脳に通ず

突然だが、皆様は
無頭児
というものをご存じだろうか。
これは医学用語で、ざっくばらんに言うと、生まれつき脳髄を持たず生まれてしまう胎児のことだ。

当然、長くは生きられない。
母体から出産を経て外界に出ても、まともに生命活動を継続させることができず、ただちに死に到ってしまう。

生きとし生けるための、生命活動の統率を司る、脳がないが故の悲劇である。

今日、医学はおよそ我々素人には想像もつかぬほどの発展を遂げた。

例えば腕、足、心臓、肺、腸・・・
多くの器官は、擬似的に作成された人工物で代換を可能となった。

しかし、脳だけはどうにもならない。
今後もおそらく、100年200年の後であっても、脳だけは一切の換えが効くまい。

脳とは、およそあらゆる知的生命体にとって、掛け値なしのオンリー・ワン――
必要不可欠な絶対要素と言える。




人を動かすものは脳である。

運動、吸収、排泄、代謝・・・
肉体の各種機能をコントロールする、中枢機関は脳だ。
どれほど五体満足にパーツが揃っていても、脳が欠けてしまえば肉体は十全に機能してくれない。

また、感情、判断、記憶など、いわゆるすべての“思考”に纏わる分野、これも脳が担当している。
他者とのコミュニケーションのために言葉を用意し、相手の格好や表情から内面を推察・・・
目の前で起こった事象を、過去自分が経験した事象のデータベース内から類似性・関連性の高いものを瞬時に検索、どうすべきかの決定を下すのも、やはり脳ということになる。

視覚、聴覚、聴覚――いわゆる五感(ないし六感)と呼ばれる、肉体の各種パーツが集めてきた情報を統合し、感想や判断、意味付けとその後の活動指針を与える「脳」。

これほど複雑な仕事を一手に引き受けながら、私達の脳は今日も活躍している。


さて・・・
すべてのフットボーラーは、フットボーラーである以前に皆人間だ。
つまり人だ。

脳が十全に動かずして、フットボーラーが十全に動くことはない。

そしてモチベーションやコミュニケーション、フィーリングの共有というものは、脳をいい気分にさせるため・・・
いわゆる脳内麻薬、脳が快楽と感知する物質を分泌させて、肉体をフルに動かすために必要不可欠なものとなる。

精神論?

・・・Non.
これはむしろ、最もそうした考え方からはかけ離れた返答なのだ。


●脳の『誤認』がなければ、フットボールなど苦行以外の何物でもない

フットボールとはフットボールを愛する者が、その特定の行動を趣向するものが行って、初めて成立する営みである。

フットボールに喜びを感じない者がボールを追い、足をひっかけられ、全力疾走を繰り返し、時速100kmにもなろうかという速度で飛んでくるボールを頭で受け止められるものか。
そんなものはある種の拷問でしかない。



プロのフットボーラーになり、これを仕事として毎日の食事にありつく者であれば、多かれ少なかれ
「ボールを蹴る」
という行為そのものを楽しいと感じる者たちだろう。
だが、その彼らとてボールのまったくないところで全力疾走を繰り返し強要されたり、骨折や靭帯損傷の危機を冒してまで、よくわからない決まりの元に勝ち、負けを競い合う決定的な理由とはならないはずだ。
彼らは皆それぞれ、お金のため、名誉のため、ありとあらゆる種類の自己満足のために、日々フットボールというスポーツに興じている。

すべての行動には、動機が必要だ。

肉体学的見地から考えれば、明らかな過負荷な運動をフットボーラーは自身の肉体に強要する。
『試合』
という特定の環境下でなければ(場合によっては環境下であっても、か)、とても耐えられないような呼吸器や足腰の悲鳴。

それを可能とするのは、高額な報酬やその先にある娯楽・快楽であり、生活であり、名誉であり、勝利への欲求と喜悦である。

モチベーションとは、生物学的に見れば明らかに過重労働――
異質で無価値、非生産的活動である現代のフットボールという“行為”を、

これは有益なものだ、素晴らしいもの

であると、各人の脳に

誤認

させるために、極めて重要な役割を果たすものなのである。


「生物学的に無価値、非生産的活動」
と言ったのには意味がある。

例えば自然界の、あらゆる肉食動物を見るといい。

彼らは食事のため、狩りをする時を除き、ほとんどの時間を休息に当てている。
無駄なエネルギーの浪費を避けるためだ。
戯れにじゃれあうことはあっても、それはあくまで身体機能を常にアグレッシブな状態、活動可能なコンディションを保っておくのに有益な程度の運動に留まる。




翻って、フットボールに限らず・・・
まずすべてのプロスポーツは、生物学的に見ればナンセンス極まる、過酷に過ぎる運動を要求される。

中でもこの競技の過酷さは、球技の中では群を抜くレベルにある。
時に骨はひしゃげ、肉が削がれ、腱は断たれ・・・
想像を絶する悲劇が、フットボーラーとそれを取り巻く我々の身には振りかかる。
事実、生命活動に支障をきたした者も――ダニ・ハルケのように――いるほどだ。



このように、ふと正気に戻ってみれば・・・
我々が愛してやまない、このフットボールという一連の

「活動」

が、いかに非生産的で特殊なものかがわかる。
本能に逆らう、自然の摂理からはかけ離れた営みと言えるだろう。


それを肉体に強要するからには、多くのモチベーションが必要だ。


細胞の一つひとつが別して望まぬ、肉体が辛い、苦しいと拒否反応を示す行為を、脳が力尽くで

絶対命令だ。働け!

と遂行させる・・・
それが毎週末、世界各国のスタジアムで行われている、フットボールという活動の一面なのである。



~次回予告~

プロのフットボーラーが持ちえる、モチベーションの種類は多岐に渡る。
本当にそれは膨大な量で、大まかな区分はできても、一人ひとりでそれはやはり微妙に異なっている。

プロフットボーラーであることへの自負。
優れた自分自身を、能力を証明するための戦い。
ゴールを決める快感、ゴールをアシストする達成感、ゴールを防ぐ爽快感。
相手を抜き去る快楽、相手を出し抜く愉悦、相手を叩きのめす情念――

実際、個人に関するモチベーションひとつとっても、挙げていけばきりがない。


そんな中、現代フットボールチームにおいて、必要不可欠と呼ばれる要素のひとつ・・・

自己犠牲

という概念を、筆者は注視する。

これはゴールを決める、相手を抜き去るなど、どちらかと言えば利己的(あるいは“他者を攻撃する”代換行為)な行動と異なり、多分に利他的な営みだ。

ボールに直接関係ないところで周囲を警戒し、走り、ぶつかり・・・
本来、自然の摂理から離れた営みであるフットボールの中でも、取り分け反自然的な側面の強い活動である。


いかな精神状態が、どのようなモチベーションがそれを可能とするのか?


これは数年来、自分にとって大きな大きな疑問であった。
本格的にフットボールを『研究』してみようと考え付く以前、それこそ未成年の頃から、漠然とながら確かに存在した問いかけであったように思う。

この問に対して、自分なりに一応の答えを、ようやくに導き出せたのが昨年・・・

示唆を与えてくれたのは、誰あろう、ジョゼ・モウリーニョという男である。




次回は『自己犠牲』を払う上で必要な資質、最も効果的な意味づけ・モチベーションのあり方について、僭越ながら私見を綴らせていただこうと思う。

続く

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【2011/03/27 20:03】 | フットボール叙事詩
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どもです!
エリトナン
時々、頭や顔にボールがあたると、
パンチドランカー?になりはせんかと、
心配してまうことあります・・・。
うぅ。。。カーロス・リベラ・・・(ノд-。)

大袈裟ですかね。。。^_^;

モウ監督!髪長いより短いほうがいいな(・∀・)

続き待ってます!














No title
ガッピル
はじめまして。
ガッピルと申します。

素敵なブログですね。
時間を忘れていろんな記事読ませてもらいました。

次の自己犠牲は私も興味深いです。
特に日本人は昔から自己犠牲という考え方が根付いていると思いますので。

記事楽しみにしています。

No title
junchang
こんばんわ!またまた興味深いテーマを・・・・
かつてまだ国によるサッカーの性質の違いが顕著であったころ、特にサッカーの母国といわれていたイギリス圏が肉弾戦を主な武器にしていたころにテクニカルな選手がサッカー以外の要素に毒されて才能を浪費する様はなぜなのだろうと考えたことがありました。

古くはジョージベスト、近年ではポールガスコイン、それ以外にも特にアルコールに溺れて身を持ち崩す選手が多かったのは白面さんがおっしゃられている、イギリス文化圏でモチベーションを保つことの難しさが原因のひとつではないかと考えたことがありました。(当然大まかな原因は「文化」にあることは承知していたのですが)

現在のフットボールはおおよそ人間の運動能力の限界に近いスキルを求められてポジションによっては平均寿命はかえって短くなっているのではないかと思っています。(医学の進歩があっても)

戦術的な難しさから言っても脳みそがもはや耐えられなくなってきてるのかもしれませんね・・・・

今回の記事を見てなんとなくそう思ってしまいました。
次回楽しみにしています!

ほい。
岩氏(いわし)
脳の一部が欠落した環境ホルモンが歩きますよ~。

相変わらず興味をそそる観点でいくな~w
自分の脳には学術的な要素は一切無いですが、読んでて納得した自分は人であることを認識できました。

確かにサッカーなんて楽しさや達成感を除いたらただの体イジメですからね。

骨がひしゃげ・・・のところでは思わず絶叫しちゃいましたw

でもまた観てる側にも娯楽を与えるのがサッカー。人を変えるだけの力がサッカーにはある!改めてそう思いました。

ハルケの件は本当にショッキングでした・・・
稀にこうやって亡くなる方が出てくるほど体に負担を強いたスポーツなんですよね。。。


コメントありがとうございます
白面
>エリトナンさん

カーロス・リベラとは懐かしい(苦笑)
わかる自分もたいがい古いですが( ´Д`)=3

個人的には、モウリーニョはどんな髪型でもいいのですが、あの笑い方が好きです。
一癖も二癖もありそうなあの、ねw

>ガッピルさん

はじめまして。当サイトの管理人、白面と申します。
以後お見知りおきを。
趣味的にあれこれ妄言を綴るだけのブログに、過ぎた評価・・・恐縮です(-_-;)

日本人の場合は、自己犠牲の性質が欧州のそれとかなり異なると思います。
より文化性に影響が濃いと言うか、「利他的に行動せよ」ということを教え込まれて育ちますので・・・
いずれまた時間ができたら、詳しく触れたい部分でもありますw

>junchangさん

ありますね!
ガッサにベスト、ガリンシャ・・・昔のフットボーラーは、破滅と常に隣り合わせでした(汗)
当時はアスリートではなく、ロックスターか何かの方が性質的に近いものだったのかもしれません。

そんな中で、何故セリエAはベテラン選手が活躍しやすいのか。
息が長くプレーできるのか・・・?

それを考えてみるのは面白いかもしれません。
イングランドでは、ドイツでは無理なことが、何故イタリアではできるのか?と・・・

>岩氏さん

知らない人が見たら、その自己紹介
「なんぞ!?」
と思われてしまいますよ(笑)

現存するフットボールの関係者、選手から監督コーチまで、驚くほど脳の影響を軽視していることは、自分にとって不思議でなりません。

体を動かす大元が脳なのだから、その回復なくして体も動かない。
機能せずしてプレーはついてこない。

本当になんでなんだろう・・・?w

モウリーニョ他数人だけですからね、本当にこの分野を細かく研究してるの・・・

とりあえず続編をお待ちください。
今晩中には仕上げますのでw

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この記事へのコメント
どもです!
時々、頭や顔にボールがあたると、
パンチドランカー?になりはせんかと、
心配してまうことあります・・・。
うぅ。。。カーロス・リベラ・・・(ノд-。)

大袈裟ですかね。。。^_^;

モウ監督!髪長いより短いほうがいいな(・∀・)

続き待ってます!












2011/03/28(Mon) 01:07 | URL  | エリトナン #-[ 編集]
No title
はじめまして。
ガッピルと申します。

素敵なブログですね。
時間を忘れていろんな記事読ませてもらいました。

次の自己犠牲は私も興味深いです。
特に日本人は昔から自己犠牲という考え方が根付いていると思いますので。

記事楽しみにしています。
2011/03/28(Mon) 16:00 | URL  | ガッピル #-[ 編集]
No title
こんばんわ!またまた興味深いテーマを・・・・
かつてまだ国によるサッカーの性質の違いが顕著であったころ、特にサッカーの母国といわれていたイギリス圏が肉弾戦を主な武器にしていたころにテクニカルな選手がサッカー以外の要素に毒されて才能を浪費する様はなぜなのだろうと考えたことがありました。

古くはジョージベスト、近年ではポールガスコイン、それ以外にも特にアルコールに溺れて身を持ち崩す選手が多かったのは白面さんがおっしゃられている、イギリス文化圏でモチベーションを保つことの難しさが原因のひとつではないかと考えたことがありました。(当然大まかな原因は「文化」にあることは承知していたのですが)

現在のフットボールはおおよそ人間の運動能力の限界に近いスキルを求められてポジションによっては平均寿命はかえって短くなっているのではないかと思っています。(医学の進歩があっても)

戦術的な難しさから言っても脳みそがもはや耐えられなくなってきてるのかもしれませんね・・・・

今回の記事を見てなんとなくそう思ってしまいました。
次回楽しみにしています!
2011/03/28(Mon) 20:10 | URL  | junchang #-[ 編集]
ほい。
脳の一部が欠落した環境ホルモンが歩きますよ~。

相変わらず興味をそそる観点でいくな~w
自分の脳には学術的な要素は一切無いですが、読んでて納得した自分は人であることを認識できました。

確かにサッカーなんて楽しさや達成感を除いたらただの体イジメですからね。

骨がひしゃげ・・・のところでは思わず絶叫しちゃいましたw

でもまた観てる側にも娯楽を与えるのがサッカー。人を変えるだけの力がサッカーにはある!改めてそう思いました。

ハルケの件は本当にショッキングでした・・・
稀にこうやって亡くなる方が出てくるほど体に負担を強いたスポーツなんですよね。。。
2011/03/29(Tue) 10:10 | URL  | 岩氏(いわし) #-[ 編集]
コメントありがとうございます
>エリトナンさん

カーロス・リベラとは懐かしい(苦笑)
わかる自分もたいがい古いですが( ´Д`)=3

個人的には、モウリーニョはどんな髪型でもいいのですが、あの笑い方が好きです。
一癖も二癖もありそうなあの、ねw

>ガッピルさん

はじめまして。当サイトの管理人、白面と申します。
以後お見知りおきを。
趣味的にあれこれ妄言を綴るだけのブログに、過ぎた評価・・・恐縮です(-_-;)

日本人の場合は、自己犠牲の性質が欧州のそれとかなり異なると思います。
より文化性に影響が濃いと言うか、「利他的に行動せよ」ということを教え込まれて育ちますので・・・
いずれまた時間ができたら、詳しく触れたい部分でもありますw

>junchangさん

ありますね!
ガッサにベスト、ガリンシャ・・・昔のフットボーラーは、破滅と常に隣り合わせでした(汗)
当時はアスリートではなく、ロックスターか何かの方が性質的に近いものだったのかもしれません。

そんな中で、何故セリエAはベテラン選手が活躍しやすいのか。
息が長くプレーできるのか・・・?

それを考えてみるのは面白いかもしれません。
イングランドでは、ドイツでは無理なことが、何故イタリアではできるのか?と・・・

>岩氏さん

知らない人が見たら、その自己紹介
「なんぞ!?」
と思われてしまいますよ(笑)

現存するフットボールの関係者、選手から監督コーチまで、驚くほど脳の影響を軽視していることは、自分にとって不思議でなりません。

体を動かす大元が脳なのだから、その回復なくして体も動かない。
機能せずしてプレーはついてこない。

本当になんでなんだろう・・・?w

モウリーニョ他数人だけですからね、本当にこの分野を細かく研究してるの・・・

とりあえず続編をお待ちください。
今晩中には仕上げますのでw
2011/03/29(Tue) 19:15 | URL  | 白面 #kMr7ovrQ[ 編集]
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