インテルやカルチョに関する話題多め
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

●無実=無罪ではない

タイトルの通りである。

結論から言えば、そこに明確な、世俗的・俗物的な不正があったとは思わない。
今回ジャッジを担当したシュタルク主審は、UEFAの勅命で動いたわけでもなければ、買収もされてはいまい。
そこに“カルチョポリ”のようなスキャンダルがあったとは考え難い。

モウリニスタである以前に、自分は一人の人間としてモウリーニョを敬愛している。
それだけに、彼自身が

『自分自身に誠実であるべきだ』

と語っている以上、本心を持って話せばそうなる。
モウの意見に、何もかもはいそうです、と追従することはできない。


が――

バルセロナというクラブが、欧州の舞台で最もジャッジングによる恩恵を受けていること

と、それを同クラブが有効活用していること・・・

この点だけはどれほど客観的視点で考えようと努め、中立的立場から事象を評価したところで揺るがない。
モウリーニョだとかインテルだとか、筆者の個人的な趣向・思考要素を極力廃し、その他クラブに起こったことを中心に考えてもだ。

これは、今回の一試合だけを取り上げて言っているのではない。

ここ数年間、CLで“審判の問題”が話題に挙がった時、いつもそこにはバルセロナがあった。

2008-2009シーズン、準決勝のチェルシー戦。
2009-2010シーズン、準決勝のインテル戦。
2010-2011シーズン、ベスト16ラウンドのアーセナル戦。
そして今回のレアル・マドリード戦だ。



まずは百聞は一見にしかず、こちらの動画をご覧いただこう。
問題のシーンは、動画開始から2分前後経った辺りか。

レアル・マドリード 0-2 バルセロナ (ショートハイライト)

――感想は人によって様々だと思う。
中にはレッドで当然と感じる方も、カードが出ることすらおかしいと感じた方もいることだろう。
その精査はこの際言い出すときりがないため、今回は割合させていただく。


自分の考えはこうだ。

カードが出ておかしくないプレーだ

、と。
これはほぼ確信を持って言える。
ペペはボールに向かってこそいたが、危険なプレーと見なされる

“スパイクの裏側”

を相手に接触しかねない形で繰り出していった。
直接の負傷のあるなしに関わらず、高い確率でこうしたプレーはファウルないしカードの対象となるプレーである。

その一方で、こうも考える。

少なくともレアル・マドリードのホームゲームで、一発退場にしていいプレーではなかった

とも。


試合後に発せられたモウリーニョのコメント、

何も罰せられることはしていないぺぺ、セルヒオ・ラモス~

というくだりには、自分は明確にノーを突きつける。
警告も退場も、本人たちにまったく過失がなかったわけではないはずだ。
間違いなく彼らは、そうなってもおかしくないだけのプレーを見せていた。

が・・・

では、退場になるのが当然だったのか?

かと聞かれれば、先の問いかけ以上にはっきりとNonを叩き付ける。

先述してきた四つの試合、及びこのCLでの対決以前に行われたリーグ戦、国王杯のエル・クラシコにおける退場劇――
そのすべてが

「完璧なジャッジだった。一切の間違いはない」

などと断言できるのは、よほど純粋にバルセロナを愛しているクレぐらいなものだろう。

多くのフットボールファンは、

判定已む無しな部分はあれど、どうにもスッキリしない

ものを抱えて、バルセロナの“幸運”に明らかな懐疑の念を抱いている。
自身が贔屓のクラブに比べ、明らかに何か釈然としないもの、不思議な巡りあわせをバルセロナというクラブに感じている人が多いことは間違いない。



今回の問題は、突き詰めて言えばここだ。


バルセロナというクラブがジャッジングの対象という点で、他のクラブと一線を画する最大の要因は、

判断がどちらに転ぶか難しい場面、その他

流れ

の中にあってはどちらに取られてもおかしくない判定が、

ここぞという場面では、理不尽なほどバルセロナにとって有利な形で下される


という所にある。


自分はモウリーニョが言うような、

「ビジャール(スペインサッカー連盟会長)がUEFAでも権力を持っているのか、ユニセフというスポンサーのためなのかは知らない。
しかし、(バルセロナ有利の判定は)何も理解できるものではない。
バルセロナというチームを祝福したいが、持っている権力にも賛辞を送りたいよ。
そのような権力を得るのは難しいからね」


という言に賛同する気はない。
無論、影響力がまったくない、完全にフェアな立ち位置にあるとも思ってもいないが・・・
一方で、

はっきりと形になるような

審判への働きかけ、圧力や試合のコントロールをバルセロナが行っている――などというスキャンダルは、とてもではないが考え難いのである。
繰り返しここは強調しておきたい。

なぜならバルセロナにとって、それは

労多くして身少なく、更には危険

な行動であるからだ。

同クラブには、そんなものがなくても十分に勝ち抜けるだけのクオリティがある。
メリットとデメリットが、見事に合致していない。

ましてや彼らは、間近で「カルチョポリ」によるイタリアの凋落、ユヴェントスの転落をまじまじと見ている。
仮にクラブ内にそうしたことを「是」とする者がいたとしても、その台頭を許してしまえば、今日の栄光がすべて台無しになりかねない。



政権交代の影響、ラポルタ前政権の問題は気になるところではあるが・・・
それでも彼らは、白か黒かと問われれば純白でないにしても

目に見えてわかる程度には白

だろう。
バルセロナ贔屓で言っているわけではなく、リスクとリターン、コストの問題だ。

だが断じて清廉潔白ではない。 

率直に言えば、明確な不正がなくとも、何かしらの政治工作があった可能性は否定しない。
むしろある。
表に出てこないだけで、ない方がおかしい

だがこれは、何もバルセロナに限ったことではない。

例えばUEFA関係者の機嫌取りを行う、関係者間におけるクラブイメージを高める・・・
これもまた立派に、ジャッジングに影響を及ぼす行為だ。
欧州に名だたるビッグクラブであれば、どこも多かれ少なかれ、そうした活動を行うのはいっそ当然だろう。

その時置かれた自他の状態、状況・環境、ありとあらゆる要素がジャッジングには影響する。
ならば、ひとつの明確な「これ」という理由で、審判が下されるものではないだろう。


・・・非常に言い難いことなのだが・・・

筆者は本来、“それすらも認めている”。

それはひとつの『』だ。
他人に気に入られたい、自分達のブランドイメージを高めたい、何かあった時に有利に事が進む下準備を進めよう・・・

好みではないが、ひとつのれっきとした強化策だろう。

完全に清廉潔白な世界など存在しないし、存在させてはならない。
それこそバランスが破綻する。 

例えばイタリアにはそれがある。

インテル、ミラン、ユヴェントス、ローマ・・・
強豪・名門チームは、明らかに複数の試合で、ジャッジングによる恩恵を受けている。

イングランドプレミアリーグもそうだし、勿論リーガ・エスパニョーラも、ブンデスリーガもそうだ。

これは社会的な圧力どころか、環境の構築というレベルで審判団の心理に働きかける、無意識の工作と言ってもいい。

どうすべきかの判断を迷った際、審判とは

こちらのクラブに有利な判定をしておけば、10人中3人から叩かれても、7人は納得する

と考える生き物だ。
人間のサガと言ってもいい。

そこを否定しようとするには、現行の審判制度は、あまりにもレフェリーに対して厳しすぎる。
人は迷う生き物なのだから――その拠り所さえ、本能に等しい行動にさえ糾弾してしまっては、最後には誰も審判になろうとする者はいなくなろう。

つまり、根本的な問題はここ。

一人の人間の双肩に、あまりにも多くの負担が掛けられすぎる状況にあるのだ。

<続く>

にほんブログ村 サッカーブログ リーガ・エスパニョーラへ
   ↑  ↑ 
最もそういうことが起こってほしくないカードで、どうしてこういうことが起こっちゃうんでしょうかね・・・?

クラシコのあまり惨状に、一フットボールファンとしてこれ以上ないほど落ち込んでおりますorz

それぞれ1クリックしていただけると、再起のエネルギーになりますので・・・
何卒どうか、よろしくお願いします。

【2011/05/03 02:13】 | フットボール叙事詩
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。