インテルやカルチョに関する話題多め
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2009-2010シーズン、モウとインテルの2年目は、超大黒柱中の大黒柱・・・イブラヒモヴィッチを失う所からスタートしました。

バルセロナ:エトー+4000~4500万€←→イブラヒモヴィッチ:インテル

のトレードは、この年マンUからCロナウド、お隣のACミランからカカーを引き抜いたRマドリードの大型補強で話題を独占、移籍市場でも報道合戦でも完全にイニシアチブを奪われていたバルセロナ側の、狂気にも近いオファーとして後に語られることになります。

「まさかRマドリー以外で、この種のクレイジーなオファーをしてくるチームがあるとは思わなかった。私は彼と別れたくはなかったが、もはやこの移籍話を断ることは不可能だった」

とはモウの弁です。

いやぁ、当時はそれはもうのけぞりましたwちょうど一年前のこの時期ですね・・・
青天の霹靂、っていうのはこういうのを言うんだなと、茫然自失したことを覚えています。
言い換えれば、それだけ当時のインテル・ミラノというチームは、崩しから得点まで、チームの骨幹を成す大半の部分をイブラヒモヴィッチに依存していた・・・ってことです。

彼の能力を最も生かす形でチームは作られており、イブラなくして当時のインテルのサッカーは実現できないものだった。
ぶっちゃけスペースを埋めてボールを奪取後、出来る限り少ない手順で効率よく前に運んで、そこから先はイブラヒモヴィッチと周りの選手に任せる・・・
言わば"カルチョ"の典型的な形、優秀な点取り屋に攻撃を任せて極力失点を防がんとするやり方でした。

彼を放出するということは、この一年使ってきたシステムの多くを放棄することと同義・・・
彼を失うということは、他のチームで言えば主力選手を3~4人を失うのと同じことだったわけです。


ただし、一方でこの年獲得した人材の顔ぶれは、それはもう豪華絢爛なものでした。

前シーズン、ジェノアで攻撃的サッカーを体現し、その躍進を支えた立役者だった「悪童」チアゴ・モッタと、派手さはないものの見る者をぞっとさせるような、いぶし銀の輝きと鋭さを持ったCF、ディエゴ・ミリート。

友好関係にあるジェノアから、首尾よくこの2人を引き抜いたインテルは、更に返す刀でモウが要請していた
"最終ラインからの組み立てのできる、1vs1に強いCB"
として、バイエルンで最終ラインの要として君臨していたブラジル代表DF、ルシオの獲得に成功します。

そして前述した通り・・・イブラヒモヴィッチと引き換えにバルサから手に入れたカメルーンの傑物、サミュエル・エトー。
いくら所属のバルセロナでペップ・グアルディオラ監督と対立していたとは言え、

「この扱いはこれまでのエトーの功績を、栄光に泥を塗りつけて踏みにじるもんだなぁ・・・」

と感じたことを覚えています。
セリエA以外で一番見るのがリーガ・エスパニョーラであり、中でも最も好きな選手の一人だった破壊的なフィニッシャーである彼が
"こんな展開で"
インテルにやってくることは、少なからずショッキングでした。一方で、だからこそ

「必ず名誉挽回のために、エトーは決定的な仕事をやってくれる・・・」

と、おおいに入れ込んでいたものです。

そして最後に・・・この夏と言わず、この数年で多分最も大きな補強の一つになるであろう、ヴェスレイ・スナイデルがジュゼッペ・メアッツァにやってきますが、この話は次に・・・

書いてみると今回はあんまりモウの話題じゃない気がしますが、モウ&インテルの話題ってことでお許しを;

【2010/08/21 18:14】 | モウリーニョなこと
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