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インテルやカルチョに関する話題多め
(3)ゼコの一件に窺える、同クラブの問題点

さて、ゼコである。
彼の取り扱いに見える、ヴォルフスブルクというクラブの意識の問題について、ここで言及しないわけにはいくまい。



詳しい経緯は、こちらをご参照していただくこととして――

ヴォルフスブルク側としては、チームが予想に反した低迷を見せる中、ゼコの存在は必要不可欠と考えたのかもしれない。

だが、それは違う。
違うのである。

だとすれば彼らは、フットボールをゲームという側面でしか見ていない。
そこでプレーする

“人間”

の気持ちを、まったく考えていないことになる。

前提としてゼコは、このクラブ、このリーグで戦うことに明らかな限界を感じていた。
傍目から見てもそれは明らかだ。
自らが内のモチベーションを、燃やし尽くして戦ったのが2009-2010シーズンだったのである。

それ以上の酷使は、神にも匹敵するほどのモチベーターでもいない限りは不可能だ。

フットボール界屈指のモチベーターとして知られるジョゼ・モウリーニョですら、
“ヴォルフスブルクで指揮を執る”
という条件下では、ゼコのモチベーションをどれだけ補填できたかは疑わしいものがある。


選手のことを真摯に見ていれば、どう考えてもゼコが変化を必要としているのは明らかだった。
それを見越した売却ができなかった点は、ヴォルフスブルクというクラブが財力や組織整備という点ではともかく、

フットボールクラブが備えているべき感覚・カルチャー

という点で、まだまだ発展途上の未熟なクラブであるということを露見させた一件だった。

お前はクラブと契約した選手だろう! 何故100%クラブのために働かない!?

とフロントが考えていたのだとすれば、それはもはやパートナーシップではない。
選手は奴隷ではないのだ。

彼らにはチームの決定に従う権利と同じく、理不尽な扱いに対抗する権利もまた存在する。
その点を彼らは忘れている。


・・・確かに、気持ちはわからないでもない。

クラブが誇るメガクラックを先頭に、好機を逃すまいと頂まで駆け上がろうとする、その心情はおおいに理解できる。
その野心、夢。これらが成功のために必要不可欠なファクターであること、これは当コラムの序章で書いた通りでもある。

が、それもすべては、現場のモチベーションあってのことだ。

同一クラブにおいてピッチの中とピッチの外とで状況の認識に差が生じれば、その分だけ群体には無理が生じていくことになる。


これは言わば、避けられない変化なのだ。

ヴォルフスブルクというクラブのキャパシティ、経歴、更には国言語文化価値観、そういったすべてのものを含めて総合的に考えた結果、ゼコは同クラブで戦うことに限界を感じていた。
どんなに幸せで充実して“いた”職場であっても、別れの時というのはいつでも訪れる可能性がある。
今回のケースはまさにそうだった。

そもそも2009年の夏の時点で、すでに彼の心は外に傾きつつあったことは周知の通りである。
一年後の昨夏、もはや叛意させることが不可能なのは傍目から見ても明白だったはずだ。

一般企業であっても、退社の意思を固めた者を引き留めきることはできないように・・・
そう考えていただければわかりやすいかと思う。
契約体系こそ違えど、こと

人の内なるもの=モチベーションの焼失

というファクターは、あらゆる労働者に共通した、雇用主との終焉の合図となる。

どれほど優良な人材であっても、日々の営みに喜びを見出せなくなってしまった時点で、その職場との関係は終わるものである。
フットボーラーのように、契約が年数単位で区切られるような関係であれば尚更だ。


このようなケースは、すべての選手、すべてのクラブに起こり得る問題である。

ビッグクラブに移籍したい、新たな環境で戦いたい(欧州のトップリーグへ移籍を願う選手が、世界中にどれだけいるのかを考えればわかることである)、自分の価値を証明したいと願うものである。
フットボーラーとして、およそ当然の欲求だろう。

キャンバスにより大きな絵を描きたいと願っても、元々のサイズが小さくては、絶対にその願いは叶わない。

中にはキャンバスを広げることに意義を見出す選手――
例えばクラブ初のタイトル獲得を願って川崎Fに残留を決めた中村憲剛であり、最後までローマを離れようとしなかったフランチェスコ・トッティであり、父も所属した故郷のクラブに、骨を埋める覚悟で戻ったファン・セバスティアン・ベロンらのことを指す
――もいるが、彼らはそもそもその土地で育った、あるいはクラブに育てられたなど、特別な関係を持つ選手ばかりである。

クラブにとっては不幸なことに、ヴォルフスブルクとゼコはそういう特別な関係にはなかった。

クラブはゼコに恋慕していたのかもしれない。
簡単に離してなるものかと固執していたのかもしれない。

だが、ゼコにとっては違った。
ドイツの片田舎にあるこのクラブは、彼にとってはステップアップのベース、通過点のひとつに過ぎないものだ。


しつこい相手は嫌われる。

およそ考えられる、すべてのコミュニケーションにおける当然の理である。

続く

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【2011/02/09 22:54】 | マネジメント
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No title
チャペル
なんか読んでて人生勉強になるブログは久しぶりです。
確かにモチベーションのない選手はクラブにとってそれほどのプラスにはなりませんし、チームの雰囲気を悪化させる恐れもありますよね。

Re: No title
白面
お久しぶりです!
楽しんでいただけたのでしたら幸いです。

モチベーションを復活させられるだけの余地が残っていればともかく、周囲に悪影響を及ぼすだけになってしまった選手はもう即時切り落としをはかるべきですね。

そこら辺はクラブの才覚によるところも大きいかと思います。
いかに円満に別れられるかも、一流とそれ以外を分ける条件なのかな・・・と。

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(2)タスクの振り分け、セクションの区分

何もフットボールクラブに限ったことではなく、企業や公共団体など、すべての集団に言えることと思うのだが・・・

“群体”の問題個所とは、行動理念に掲げた「目標」及び、それを達成するためにとった「行動」の内容、
このふたつの点を具体的に考察してみることで、はじめて特定できるものと筆者は考えている。
どれほど崇高な目標を立てていようと、実行段階で問題が生じてしまっては何にもならないし、またどれほどクオリティが高くとも、各行動が目標に沿っていなければすべては無意味だ。

では2009-2010シーズンを迎えるに当たって、この時ヴォルフスブルクとその指揮官フェーは、どのような目標を達成せんとしていたのか。

当然のことながら、まず目の前の成績は必要になってくる。
リーグ戦は勿論、この年がクラブ史上初となる欧州CLでの戦いをできる限り継続すること、加えて可能であれば国内カップ戦を狙う・・・そういうことになるだろう。

その他、中~長期的な目標実現のために、指揮に関して何か要求があっただろうか?

例えばそれは若手選手の育成であったり、来年、再来年を見越したチームづくりであったりする。
中には特定の選手を引き立てるよう、目立たせるようマネジメントを依頼するケースなどもある。
イタリアなどでは頻繁にオーナーが現場介入し、ああしろこうしろと注文をつけるのがニュースとなったりするわけだが、この種の動きもここにカテゴライズされるものだ。

が・・・
少なくとも筆者の知る限り、ヴォルフスブルクはフェーに何か、特別な要求を行ってはいない。

無論、詳細は不明である。
しかし指揮官やクラブ幹部の発言を見る限り、目の前の結果を得る以外に、何か特別なプロジェクトを同時進行しているようには思えなかった。

よって、トップチームの舵取り方針は極めて単純明快。

各コンペティションで、予算に見合った結果を出す

という一点に集約されていた・・・と考えるのが妥当だろう。
勝ち点さえ稼げれば、指揮官が自由にチームをマネジメントして構わないと、極論で言えばそういうスタンスになる。



どちらにしても、フロントが指揮官に余計な注文をつけず、意思に沿う形で各種マネジメントを阻害しないよう配慮したという点で、このセクションに問題と言えるような問題はない。

ではいったい何故、フェーのマネジメントは頓挫し、チームは機能不全に陥っていったのか?

無論、本人の手腕、人柄など、多くの問題がそこには介在しているのだろう。
しかし今回は、あえてそうした個人の問題ではなく、クラブ全体から見た各セクションの在り方、つまり戦略レベルから同クラブの問題点を探った。


●「適材適量」の意味

結論から言おう。
フェーのマネジメントが頓挫した理由の一端は、

監督が通常こなすべき、現場』“以外

の仕事・セクションに目を向けることで見えてくる。
つまりは、

ピッチの外の仕事を含めて、指揮官の許容量以上のタスクを押し付けた

ことが、すべての悪しきサイクルの始まりとなったのだ。
少なくとも、筆者はそのように考えている。


例えば補強である。

選手の取捨選択に関して言えば、基本的に同クラブは一定以上に現場の意見を取り入れた形で補強を行っている。
(余談だがこの点は、現場の意向を無視した独りよがりな動きに終始するオーナーも多いカルチョの住人として、非常に羨ましく感じるところだ)
選手と誰よりも長く接している、監督・コーチの意見=現場の目線を補強に反映させるというのは、言うまでもなく理に叶った方法だろう。

しかしこの時、指揮官に

実質的な補強の全権

を与え、その運営まで担わせるというアプローチはいかがなものか。

無論、フェーが直接各リーグ各チーム、各選手のリストアップを行うわけではない。
フェーが行ったのはあくまでマネージャーの立場に留まるもので、リストアップに際する条件(ポジション、プレイスタイル、あるいは国籍などもこれに入る)を提示し、予算の調整を行い、このセクションを直接・間接的に関わる役割だ。

しかし、こうした総合的なマネジメントの経験がほぼ皆無だった彼に、就任直後から

補強部門の仕事=時間的・心身的負担

を課すというクラブの判断には、素人である自分ですら首を傾げざるを得ない。

言うまでもなく、この時点でフェーには

補強以前に取り組まなければならない仕事

があるからだ。

状況の相違を考慮すると、単純な比較はできないが・・・
例えばあのジョゼ・モウリーニョですら、インテル指揮官就任直後に手を出し口を出した補強で、
新戦力の多くが使い物にならなかった
という大失敗を犯している。

言うまでもなく、その最たる例がクァレスマだ。
ムンタリはまだ貢献できた方ではあるが、それにしてもレギュラーに定着できたわけではない。
※チームに加わって3年目の今年、とうとう満足に出番を得ることができないまま、新天地サンダーランド(イングランドプレミアリーグ)へレンタルでの移籍を決めている。

こと費用対効果という観点から考えれば、モウリーニョが就任初年度に自らの肝いりで獲得した選手たちの出来は、完全に落第点だった。

この失敗は

・インテルというクラブの性質
・そこに属する選手たちの特性
・セリエAというリーグの性質

・・・等々のファクターを熟知できていないうちに、言わば先入観・思い込みでマーケットに繰り出し、選手たちをカゴに入れていった結果として引き起こされたものに他ならない。
(尤もモウリーニョの場合はしっかりとこの時の失敗を教訓化し、その後の2年間におおいに役立ててはいるが)



こうしたケースに明らかなように、本来補強とはあくまで文字通りの

補強・補填

という形で施工されるのが基本である。
どれほど資金力のあるチームでも、チームを丸ごとひとつ0から作り上げるような買い物は、現実的に不可能なのだ。

よって新たに就任した監督の場合、まず行うべきは

その時点でチームにいる選手たちの特性を把握

することであり、ただちに市場に目を向けることではない。

日々の練習に模範的に取り組む“フォロワー”の獲得や、システムの基本骨子となるセンターラインの補強など、
戦術面以外にマネジメント面にも影響する“愛弟子”を1人か2人獲得するといった場合はともかく、少なくとも筆者の価値観に照らし合わせて言えば、新任指揮官は補強というタスクに多くの労力を割くべきではないだろう。

むしろ市場に労力と時間を割いた分だけ、現場の選手が

自分たちをちゃんと見てもいないのに、そんなにこの監督は他の選手が欲しいのか!?

と、反発することは必至となる。
新戦力が必要ということは、それだけ元いた人間の能力に満足していないという証拠となるからだ。


さて・・・

ここまでお話ししてきたような、ピッチ外の仕事にも関わり、チーム単位ではなくクラブ単位のタスクにも携わるような指揮方法を、筆者は便宜上

総合マネジメント

と呼んでいる。
これは現時点で間違いなく世界最強の指揮官の一人、ジョゼ・モウリーニョですら一筋縄ではいかないような、実に困難なチャレンジである。

否・・・その言い方も正しくないかもしれない。

より正確に言えば、そもそものジャンルが違うのだ。
ピッチの中のことに集中して仕事に取り組むのと、クラブ全体の運営を含めてチームを統括するのとでは、短距離ランナーと中距離走者、原動機付自転車と自動二輪ほどの違いがある、と称した方が適切だろうか。

この両者を

フットボール監督



フットボール総合マネージャー

にでも分けるとすれば、多くの指揮官は前者に該当し、一部の優れた指揮官だけが両方の特性を併せ持つ。


言うまでもなく、フェーにはまだ総合マネジメントの経験はなかった。

監督としてはともかく、フットボール総合マネージャーとしての手腕はまったく未知数、言い換えれば素人である。

そんな素人にクラブ運営、つまり

戦略レベル

のタスクを、いとも簡単に与えたのはいかがなものか?
筆者にはそれが疑問でならない。


繰り返し恐縮だが、フェーであろうと誰であろうと、人選の時点でそれがすなわち過ちになるというわけではない。
熟慮すべきは

指揮官のタイプ、能力を見極め、

どこまで仕事を押し付けるべきか?

何については権限を与えるべきなのか?


という点である。
この点で、ヴォルフスブルクは大きな失敗を犯していたことになる。


クラブはあまりにも無造作に、前体制をほぼそのままの状態でフェーに引き継がせ、適正の有無もまともに調べないままに彼に総合マネジメントを任せてしまった。
つまり
仕事の配分
を間違えてしまったと言うことができる。

同時に彼らはフェーが最もその能力を効果的に発揮することができる、理想的な環境の構築も怠ってしまった。

シュトゥットガルトがフェーの元で優勝を果たした時、フェーはどういった体制で仕事をしていたのか?
何故成功のサイクルがチームにもたらされていたのか?

そういった成功要因をしっかり検証し、よい部分をヴォルフスブルクで再現しようという工夫はまるで感じられなかった。
こんな行き当たりばったりのマネジメントを行っていては、成功が覚束無いのも道理というものである。




○更なるifを追求したとて・・・

あるいは、元々ヴォルフスブルクというクラブが、監督にすべての権限を一体化させて運営することを念頭に置いたマネジメントを行うと決めていたのであれば?

この場合は運営方針に一貫性が生まれる一方、監督人選の時点で、大きな失敗を犯していることになる。
今度こそフェーの招聘そのものに、大きな疑問符がつくことになるだろう。

何故過去、そうした経験を持ったことのある人物を探しだそうとしなかったのか?

という点の追求を免れないからだ。

確かにマガト前監督には、コーチとして考えられるおよそすべての権限を与え、その結果としてクラブは大きな栄光を手にした。
指揮官、マネージャー、スポーツディレクター・・・
チームの指揮から新選手のスカウト、はては人材の配置権まで、マガトの望むすべてを与えた結果、クラブ史上初のリーグ優勝を成し遂げたことは事実だろう。

しかし、アルミン・フェーという人物は、マガトとは経歴もスタイルも、何よりも本人のキャラクターがまったく異なる人物である。

昨夏、モウリーニョの後任にラファエル・ベニテスを招聘したインテルにも同じことが言えるが、

クラブの体質、選手の特性を考えずに指揮官をあてがえば、

チームにはなんらかの形で必ず悪影響が出る


ものだ。

大前提となるのは、クラブが今後十数年に渡って継続して取り組んでいくべき長期的なプロジェクト&ビジョン。
ヴォルフスブルクに欠けていた、あるいは足りなかったものは、まさにこうした長期的な強化計画に他ならない。


これは何もヴォルフスブルクに限らず、すべてのクラブに言えることだが・・・

こうした大きなレールに特性が合致する人物でなければ、つまり相性のよい人材でなければ、どんな名選手も名監督も使い物にはならないのだ。

荒れ地で無類の強さを発揮する超高級マウンテンバイクも、平地でアスファルトの上を走らせれば、廉価版のオンロードマシンに大きく遅れを取ってしまうように、
他のリーグ、他のチームでどれほど活躍できていた指揮官であっても、リーグへの適応力、クラブの特性、現場に今いる選手たちとの相性といった要素の数々。
そのひとつにでも齟齬を抱えてしまえば、円滑なマネジメントは阻害されることになる。

人材の見極めは、フロントがいかに自分たちの計画を具体化できているか?
現段階で計画がどこまで達成されているのか、あるいは計画に問題が生じているのか?

そうした現状認識に基づいた、人材のチェックが行えているか否か――
まさにこの点にかかっている。

だからこそ有識者たちは、口を揃えて

「すべてのクラブに必要なのは、“長期的なスパンに則った強化策”だ」

と言うのだ。


それでも新たな可能性に賭けてみると決めてクラブが動いたのだとすれば、その決定にいっそ腹をくくることはできる。

誰だってはじめは素人なのだ。
フェーにその適正があると信じ、そのために全力で周囲が支えると決めたのであれば、それはそれで決断を尊重しよう。

しかし彼が行き詰まった時、失敗した時にどうやってチームを立て直すか? というテーマ・・・
いわゆる

リスクマネジメント感覚の欠如

は大きな問題だ。

ヴォルフスブルクには事がうまく運ばなかった場合に備えた、ニの手三の手がどこにもない。
これはもう、どう状況を考慮しても申し開きの叶わぬ失態である。

同クラブのこうした体質には、とある理由があるのだが・・・
それについて語るのは、残念ながら次回以降ということになる。


なんにせよ、実際に対処が遅れた結果、チームはシーズンを取り戻すことができなかった。
最低限のノルマとしていた5位以内、ヨーロッパリーグの出場権すら獲得できなかった事実の前には、如何なるエクスキューズも通用しない。

そして、今シーズンもまた――

今後いよいよゼコの一件について語ろうというこの時期に、降格圏に沈まないことを今は切に願うばかりである。

続く

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いつも応援くださっている皆さま、ごめんなさい・・・
ぶっちゃけ、今回とか相当に出来がよくないですorz

手直しに手直しを重ねても、なかなか納得のいく出来にならず――
それでもこれ以上お待たせするのもまずいと思い、恥をかく気でこうして表に出しております。

なかなか本調子が戻ってこない状態ではございますが、気力が続く限りは続けますので、どうか応援のほどよろしくお願い致します。。。

【2011/02/09 00:50】 | マネジメント
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(1)目標の設定と達成に向けて

2009-2010シーズン、クラブがマガトの後任指揮官として白羽の矢を立てたのは、アルミン・フェーだった。

その選考自体に、異を唱える気はない。
以前も別のコラムで書いた通り、この前の2008-2009シーズン、バルセロナのジョセップ・グアルディオラ監督が国内外で3冠を達成したことにより、この年は指揮経験の少ない、若い指揮官の可能性が期待された年でもあった。

フェリックス・マガトのサイクルが終わったことを受け、ひとつそうした可能性に賭けてみるというのは悪い決断ではない。
野心的で挑戦的な同クラブのこれまでの姿勢を考慮すれば、クラブモデルに合致する選択とすら言える。



むしろここで重要となるのは、

ではフェーに何を託すか?

という点だ。
言いかえればこれは、ヴォルフスブルクのフロントが指揮官に

究極的には何を『目標』とし、その達成を望むか

ということになる。
この『目標』という概念は、今後当コラムでたびたび目にすることになるであろうキーワードである。
頭の中に留めておいていただければ幸いだ。


もう少し具体的に説明しよう。

クラブと指揮官とは、前提としてそれぞれが短期~中・長期的な目標を設定し、
お互いが共通の認識の下、それら複数の計画を並行・相関して行っていくことが望ましい。
これがパートナーシップのあるべき形、基本的なマネジメントのスタイルとなる。

世界の名だたる名将たちが、

契約に当たって、私たちは随分と話し合った。

同じ野望、目標を共有できると感じたよ

それが~~と契約した理由だ


――などの謳い文句を決まり切ったテンプレートのように使用するのは、それだけこのテーマが重要だからに他ならない。

目標の設定

こそは、成功できるクラブとできないクラブを分かつ分水嶺・・・
勝者と敗者を分ける、最初の関所となるわけだ。

例えば、2009-2010シーズンのヴォルフスブルクをサンプルとして見てみよう。

仮に、本当に仮にだが、同クラブのこのシーズンの目標が『CL優勝』といった壮大なものであったとすれば、クラブ(及び指揮官、チーム)はその実現のために弱点を埋め、長所を強化し、極力無駄を排したマネジメントを追求しなければならない。

この時のヴォルフスブルクにとっては、現実的に限りなく不可能に近い――
おそらく1%も可能性はなかったはずだ
――目標である。
リーグ戦や国内カップ戦、採算性その他あらゆる要素を突き詰めて考えれば、どだい無理のある話だろう。

こうした状態のことを、目標設定を誤った状態、と言うことができる。

これでは成功はおぼつかない。

しかしこの時、目標をより現実的に

CLという舞台で、可能な限り長く戦い続ける

という形に定めるのであれば話は別だ。

これなら戦いようがある。
あわよくば優勝を狙うという野心も備えた中で、常に自分たちが挑戦者であることを自覚した上で、恐れずしてかかっていくことも可能だろう。

勿論、実際にチームにそうした空気を生じさせることができるかどうかは、指揮官の手腕次第ではあるが・・・
少なくとも、皆でイメージを共有できる公算が立つというだけでも、クラブ目標に掲げられる余地があるということだ。


続けよう。
目標を確認した後に注視すべきは、

どこまで何を指揮官に任せるべきなのか、背負わせるべきなのか?

という部分になる。
つまり指揮官の仕事の量、クラブ全体の中で指揮官に委譲する権限の割合を測ることにより、

フロントがどこまで真剣にクラブの状態を見つめ、指揮官の能力を熟慮できているか?

を見ることができるというわけである。

例えばマンUにはマンUの、インテルにはインテルの、バルセロナにはバルセロナの“やり方”がある。
リーグごとに、クラブごとに、運営状況やその体質、好まれる文化は異なる。
例えば、同じように「リーグ優勝」や「CL優勝」を目標に掲げていても、クラブによって頂への歩みはまったく異なるはずだ。

そうしたものを一切考えなしに、Aというシステムの元で成功してきた指揮官aに対し、BというシステムのクラブにおいてC種のチームの運営を任せたところで、無理が生じるのは道理だろう。
言うまでもなくその設定を誤れば、クラブの迷走は早晩避けられない事態となる。


このように、理想と現実をそれぞれ見据えた目標の設定、
それに伴う人材の適材適所な配置及び、タスクの適量適任・・・一言でまとめるなら

運営の最適解

を見つけ出すことは、各クラブにとって
至上命題
となる。

果たしてこの時ヴォルフスブルクは、現実を見据えた短期~長期目標の設定と、

それに即したセクション管理、タスクの配分

ができていたのだろうか?
この点が、筆者の中で長らくずっと引っかかっていたのだ。


歯車は、どこで狂いだしたのか――
今更ながらに、緑の狼の軌跡を追った。

続く

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【2011/02/07 23:41】 | マネジメント
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当時のブンデスは
黒猫
全体的に若手登用の流れが出来てて
それが監督選考にも影響が出始めてましたよね。

マガトの強烈なチームへの影響を考えると、カラーをドンと変えなければならないのはフロントも選手もファンも望んでいたことだと思います。

だからフェーの就任は、比較的良い方に受け止められてたと思いました。
惜しむらくは在任期間か。。。と、これ以上は次ですかねw

管理人のみ閲覧できます
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Re: 当時のブンデスは
白面
まあ、自分としては・・・こういう感じです(笑)

次回が山場になりますかね・・・
ヴォルフスの迷走、果たしてどこまで続くのかorz

本腰を入れないと、本気で降格も現実味を帯びてきた今の状況。
さあどうする・・・?

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今冬の移籍市場は、ビッグネームの移籍が多数(おそらく冬のメルカートとしては過去最多)成立するという、異様な展開となった。

通常シーズン途中での移籍は、各チームが余剰人員の整理のため、あるいは降格圏内のチームが危機を脱すべく行う緊急の補強に限られる場合がほとんどだ。

だが、今冬のそれは違った。
何人ものメガクラックが新天地に移り、これだけビッグディールの成立が相次いだのは小さくない驚きである。

名門リヴァプールを中心とした一連の大移動は勿論、
最終日に日本代表のレフトバック長友がインテル・ミラノに電撃加入したのも、我々日本人にとっては(特にインテリスタにとっては)驚天動地のサプライズだったことは、先日お話しした通りだ。
イタリア有数のCFに成長していたパッツィーニのインテル加入、“悪童”アントニオ・カッサーノのミラン入りなども、カルチョファンの間では大きな話題となっている。

そんな中、数あるビッグディールの影で、着実に補強を進めるあるクラブの姿があった。

ヴォルフスブルク、最終日に積極補強
トゥンジャイ、ポラーク、ヘルメスを獲得



当blogの記事を以前からご覧頂いている皆さまであれば、この移籍の何が筆者の琴線に触れたのか。
お察しいただける方も多いと思う。

機は熟した。
以前語ったエディン・ゼコを取り巻く物語における、もう一人の主人公――


ヴォルフスブルクの話をはじめよう。





○はじめに

以前、同クラブのこの2年間の動きが、筆者にとってすこぶる不愉快だったことはすでに書いた。
が・・・ここでひとつ、前もって言っておきたいことがある。

筆者が同クラブに、大きな好意を抱いているということだ。
今もって好いていると言っていい。
でなければわざわざ、こんな企画を思いついたりもしない。

昨今のフットボール界においては稀有な存在と言える、健全そのものと言っていい財政状態。
現状に決して満足しない、野心的かつ挑戦的な姿勢に、標準以上のクオリティを有する選手たち。

一部昇格後も決して目標を低く持たず、常に上を目指すその姿勢は、おおいに筆者の興味を引いたものである。

誤解のないよう言っておくと、身の丈に合わぬ巨大な夢を掲げることは、筆者にとっておおいに歓迎すべき傾向だ。
問題となるのは現実との付き合い方であり、

夢を大きく持つこと

自体は、何ら悪徳になるものではない。
より正確に言うなら、“クラブが目指す最終的な目標”という言葉に置き換えてもいいだろう。

この“クラブが目指す最終的な目標”に向かって、クラブが今は何を成すべきか?
そして、これから何を行うべきか?

その取捨選択がしっかりできている限り、夢は選手やスタッフ、サポーターにとって常に希望の拠り所となる。
夢を持たないクラブなど、そもそも論外というべき存在だ。
夢のないクラブに、人は、そして金は集まらない。

その意味でヴォルフスブルクは、

成功のための最初の条件

を、図らずも満たしていたことになる。


そんなチームだけに、2008-2009年シーズンの戴冠は、実に嬉しいものだった。

筆者は本来、ドイツのクラブに関して言えばレバークーゼン&バイエルン贔屓である。
しかし、この緑の狼が成し遂げた快挙は、素直に祝福できるだけの説得力とドラマ性を感じさせられた。

情熱の勝利であり、マネジメントの勝利であり、チームが一丸となって自らを信じた末に手に入れた結果だったからだ。

同クラブに初めて注目することになったのは、長谷部誠の移籍に際してなのだが、知れば知るほど

「長谷部はなかなか面白いクラブに移ったな」

と、嬉しく思ったものである。

・・・それだけに、そう。
それだけに、である。

ここ最近のクラブの舵取りには、大きな失望を抱かずにはいられなかった。


既知の方は存じ上げていることと思うが、筆者は単純な結果の良し悪しでクラブ、あるいはチームを評価・判断しない。

判断基準はあくまで

目標設定と、それに沿ったタスクの実行、達成

が、どこまで叶っているのかという点に集約される。
平たく言えば、総合的なマネジメントを計画的に実行できているかどうかだ。

だが・・・
その点で優勝直後のシーズン、2009-2010シーズンのヴォルフスブルクのそれは、ほとんど最悪に近かった。
ここ最近の歩みはまったく、見ていて苛立たしいことこの上ないものだ。

何故か?

・・・次回より、その理由を一つひとつ書き連ねていくことにする。

続く

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【2011/02/06 22:27】 | マネジメント
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お待ちしてました!
黒猫
ドイツといえばバイエルン、シャルケ・ドルトムントのルールチーム、そして新興ザンクトパウリの私に
長谷部さんが移籍することによって突如現れた狼の城は心より尊敬すべきチームになりました。

マイスターシャーレを掲げたその時までは。

ツッこむ気満々で待ってますv-238

No title
junchang
古臭くて恐縮ですがドイツといえばケルン、メンヘングラッドバッハ、ハンブルグって感じでした^^(よく覚えてないんですけどね^^)バイエルンはドイツでは「読売巨人」って感じでしたので^^

ヴォルフスブルグは新興クラブですよね!新興クラブしかも潤沢なマネーがあるクラブは時として誤った選択をしがちでしたね!それだけに、2シーズン前の初優勝は非常に微笑ましいものでした!当然長谷部選手が所属し、主力として出場していましたので。
今後のチーム修正をどのようにしていくのか、ヘーネス氏の手腕に期待はしているのですが・・・・。

No title
白面
>黒猫さん

是非突っ込んでください(笑)
記憶を引っ張り返しながら、色々あやふやな中でもせっせと書いていく予定ですのでw

>junchangさん

自分としても同クラブの歩み、方向性などを再確認する意味で今回あれこれ書いてみる気になったのです。
ハンブルガーもまたあれこれ、突込みどころの多いクラブだなぁ・・・
しかしドイツ関連のblogではないので、なかなかすべてに突っ込んでいくのは難しい(笑)

ヘーネスの影響はまだ出ていないのか、あるいはヘーネスに与えられた権限が思った以上に少ないのか。
その辺をあれこれ空想を巡らせていただくきっかけ、材料になれば幸いです。

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前回から続きます。
今回で、主だった方法(ただし白面的解析という独断に基づく)の解説は終了ということになります。

(6)監督が「責任は自分にある」と選手をかばう

これは文字通り監督が責任をすべて背負い、選手をかばおうとする方法です。
最大の特徴は、

実際に監督の采配やマネジメントに問題があった場合と、

監督の仕事に問題と言えるような問題が何もなかった場合とで、

おおいに意味合いが異なってくるという点です。


順に見ていくことにしましょう。

まず、実際に監督の采配やマネジメントに問題があった場合・・・
これは明確な「謝罪」と言うことができます。

監督とて人間です。間違いを犯してしまうことぐらいはありますよ(苦笑)

自らのミスを謝ることは、そもそもフットボーラーや監督以前に、人として当然の成り行き。
それができない監督は論外です。

これは普段の振る舞い、選手との信頼関係に問題がある監督でなければ、おおむねよい結果に傾きます。

この際、

「わかってるならさっさと直せよ・・・またお前の采配のせいで負けたじゃねーか・・・」

になってしまうようであれば、当然の如くチームは死んでいます。
即時監督を解任した方がよい状態であり、これはもう謝罪とかリカバー以前の問題でしょう(汗)


翻って・・・
実際には監督は何もミスらしいミスをしておらず、選手たちやスタッフをメディアやフロントから守るために、
あえて自らを盾として守ろうとしている場合。

これは選手たちにとって、ある意味責められるよりも辛い展開なこともあります。


面と向かって罵倒されるのではなく、自分たちの不甲斐なさを見ていながら、監督が批判の矢面に立とうとしている・・・
想像するだけで心苦しいものがありますね。

それを元に奮起してくれるよう促すのが、つまりこのアプローチなわけです。

結構な数の監督が

「敗戦の責任は自分にある(キリッ)」

というコメントを残すのは、当然効果も高いから。
責任感の強い、プライドの高い選手たちには、特に有効な方法と言えるでしょう(プロのフットボーラーになれるほどの選手たちであれば、こうしたタイプが自然と多くなるのも道理です)。


ただし、傲慢で甘ったれな子供タイプの選手には、多くのケースにおいて逆効果が出てしまいます。

自分の責任・問題を追及しようという習慣がなく、言われたことをやるだけの選手・・・
つまりプロフェッショナルとしての姿勢に欠ける選手に対しては、こうしたアプローチは行わない方が無難です。

彼らに対しては(2)や(3)の方法と併用するなど、もう一工夫を加えて臨むのが賢いやり方と言えると思います。


(7)『アメ』を与える、『ニンジン』を吊るす

文字通り『アメ』を与えたり、臨時ボーナスなどの『ニンジン』を吊るして、選手をモチベートする方法です。

アメはようは、

「勝負は時の運だ、しょうがないじゃないか。

気分転換に一日休暇をやるからこんな試合はさっさと忘れて、次の試合からはまたばりばり行こうぜ!」

・・・的なことをするわけです。
(1)の派生、もしくは(1)と噛み合わせて使う場合も多々見られるアプローチですね。


一方『ニンジン』は本来の年俸以外の、臨時の報酬をちらつかせて、選手たちのやる気を引き出す方法です。

こうしたサラリーは監督が支出するのではなく、フロントが用意するケースがほとんどな上、敗戦のリカバリーという形で使われることは少ないため、
今回ご紹介するのに、果たしてふさわしいのか? という点が、少々疑問には感じられましたが・・・
一応過去数回、監督が個人的に選手に臨時報酬を与えるケースを目にしていたので、ご紹介してみる運びとなりました。

しかしまぁ、この方法・・・
特に各国の一部リーグに所属するような選手には、有効に機能することが少ないアプローチと言えます。

何せビッグクラブの選手たちは、皆相当な高給取り。

必然的にお金はがっぽがっぽと入って来るため、物質的な欲求はさほど高くないケースが多く(給料が高いということは、日々の生活もそれだけ充足していますからね)、必然的に地位と名誉にモチベーションを抱く選手の方が多くなるはずです。

そこで監督としては、例えばこのような形で、一計を案じるわけなのです。

ここで結果を出せれば、私は君の移籍を容認しよう。フロントに働きかけて、君の移籍を進言してもいい」

・・・であるとか、

「君は契約更新の前だったね・・・よろしい。

見事結果を出してくれれば、私の方からフロントに君を何がなんでも手放すことがないよう、

年俸を引き上げてでも留め置くよう伝えておこう

などといった形で、選手をモチベートするわけです。
間接的ではございますが、これも一種の「ニンジン」ということができるでしょう。


これらの方法が有効に作用するかどうかは、状況によって異なります。

すべての選手に有効なこともあれば、時間やお金を無駄に浪費するだけで終わってしまう場合もある。

それどころか使いどころを間違えると、非常に大きなリスクを抱えてしまうこともあるため、
使いどころには慎重な判断が求められるアプローチの一種と言えるのではないでしょうか。


(8)ムチを振るう

文字通りムチを振るいます。

敗戦後に過酷なトレーニングメニューを課したり、休暇を返上させたりするという、物理的・具体的なアプローチがこれに当たるでしょう。
フェリックス・マガトやロナルド・クーマンなど、荒ぶる仕切り屋タイプ(よい意味でも、悪い意味でも)がよく用いる方法です。

独裁者型の監督がこの方法を多く用いていることは、決して偶然などではないでしょう。


マガトの場合は、評価に価する部分もそれなりに持ってはいるのですが・・・

如何せん選手のタイプや状態に合わせた、対応の使い分けができていないことが、
今季シャルケが低迷している理由のひとつになっている気がします。


『鬼軍曹』『独裁者』など、数々の異名を取るフェリックス・マガト。
ともすれば前時代的とも言われる、非常に厳しいトレーニングを課す監督として有名な彼は、良くも悪くもこの手法の使い手として『第一人者』かもしれない。

ヴォルフスブルグ時代は、エゴの強い選手たちをこの方法でよくまとめあげた。
一方、現在シャルケで行っているマネジメントの失敗は、文句なしの醜態と言える悲惨なものだ。
ウィンターブレイク前まで首が繋がっていたとしても、果たしてその後の巻き返しが可能かどうかは、かなり危ういところである。

個人的にこうした個性派には、なんらかの形で生き残っていてくれると面白いとは感じるのだが。。。


それもそのはず・・・
この方法は、能力は高いがエゴが強く、チームとしてのまとまりを欠きがちな選手たちには、高い効果を発揮しますが、
反面、それ以外の選手たちには、よほど強固な信頼関係が築けている場合を除いて、デメリットの方ばかりが目立つアプローチだからです。

今季、シャルケは新規加入の選手を大量に抱えていました。
しかもW杯明けということで、十分な準備時間が取れたわけでもありません。

にも関わらず、これまでと同じように鞭を振るって怒鳴り散らしていたところで、
選手は無言でゼハゼハ言うのがせいぜいでしょう。

精神的に未熟な選手は、監督の強力なコントロール下にないと自分勝手な行動ばかりを取るため、無理やりにでも言うことを聞かせなければすぐ問題を起こしてしまうものですから・・・
時には、こうしたアプローチが必要なこともあるのは確かです。

他方、監督から受けるストレス・フラストレーションを粛々と受け止め、反発しようとしないタイプの選手たちには、逆効果になってしまう場合も多々ある。

今季のマガトとシャルケの場合は、後者の典型的なケースだったように思います。


こうした事態を避けるためには、監督自身も何かしらのペナルティを負うようにするなど、細かな工夫が必要となります。

「敗戦は全員の責任だから、俺も罰は受ける。だがお前らもやれ」

的な意思表示を行うことで、

「この監督は自分にも他人にも厳しい、徹底して妥協しないタイプの監督なんだ」

といった解釈を選手にさせることができればしめたもの。
自然とチームは、全員で同じ方向を向くようになるというわけですね。

尤も、そんな面倒くさいことをわざわざ自分からやるような監督の場合、
そもそもこの方法を使おうとしない場合の方が、圧倒的に多いのですが


(9)何もしない

何もしません。負けてもいつも通り、淡々と練習を繰り返すだけです。

・・・・・・・・

・・・これだけでは解説になりませんので、少々の補足を加えておきます(汗)


つまり無理に触らないこと、選手たちが自然に立ち直るであろうことに期待するアプローチがこれです。

尤もこの方法、リスクばかりが目立ちリターンらしいリターンが非常に少ないです。
負けた時、つまり辛い時や苦しい時は、何かしらの反応が欲しい人の方が多いはずですよね。

性格的に

「負けた後は放っておいてくれよ・・・言われなくたって立ちあがってやるから!」

な選手がよほど多くない限りは、あまりにも無気力で、非生産的なアプローチと言えます。



二晩に渡ってご紹介し続けてきましたが、いかがでしたでしょうか?

今回自分の方で解説させていただいたアプローチは、あくまでも自分に思いつく範囲、知り得る範囲のものでしかありません。
他にも驚くような方法で、リカバリングを行っている監督さんもいるはずです。


皆さんも贔屓チームがございましたら、

「うちの監督はどうなんだろう? ちゃんとあれこれ考えて、リカバリーをやってるのかな?」

など、あれこれ考えてみるのも一興ではないでしょうかw

連敗しないチーム、負けを引きずらないチームの監督は、
普段表だって評価されることは少ない部分ですが、こうしたケアが非常に巧みな方達なのだと思います。


次回はいよいよモウ編です。

できれば明日、最悪でも明後日深夜までにはまとめきりますので・・・
バレンシア戦が今から待ち遠しい~!w


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【2010/12/03 22:55】 | マネジメント
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うぬぅ。
lemistzuck
ショップで働いてるんですが、結婚してパートになるまで店長してました。
店長と監督って同じです。
この記事よんで、みんなから見て自分はどんな店長だったのか、改めて考えさせられました。

あーー・・・
なんかボーっとしてもうたw




こんにちは♪
イチゴッチ
白面さん、いつもありがとうございます。

これは、親が子どもを育てる
上司が部下を育てる
いろんな関係で考えさせられる事ですね。
誉められて伸びる人もいれば
叱咤激励されて伸びる人も。。。
見極めも難しいですね。


そういう意図もあって書いてますw
白面
>lemistzuckさん

ご訪問ありがとうございます。

実は、自分も前の前の職場で、店長とかやってました。
その時は全然右も左もわからず、バイト君の取り扱いにもおおいに問題があったわけですが・・・

あの頃にモウリーニョと出会い、またフットボールの研究にも今のようにのめり込んでいれば、あんな苦労やこんな苦労はしなくてすんでいたろうなぁ、とつくづく思うのですよ(苦笑)

今の職場も、常に相手にモチベーションを与えなくてはならない立場にいるので、
あの手この手で日々悪戦苦闘しております。

モウリーニョは自分の人生に、フットボールとはまったく関係のない所でも影響を与えているんですw

>イチゴッチさん

どうもです!

そうなんですよ・・・今回の記事って、実はフットボールにまったく関係のない、

私たちの普段の生活そのもの

においても、非常に重要な部分と思うのです。

ようは、実は難しく専門的に考えられている監督のお仕事ですが・・・
実は一番大切なことは、私たちが普段から気をつけたり、頭をひねる部分と多分に重なるということなのですね。

例えば部下やお子さんとの接し方ひとつ取っても、ただ頭ごなしにやらせるだけでは逆効果。
甘やかし過ぎてもいけず、叱るだけでは論外・・・

ではどうするべきか?

というテーマについて、これを読んでくださった方に、何かヒントになるものがあればいいなと思っています。

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